200Q年のベストセラー

2009-06-24 00:00:02 | 書評
1q小説1Q84が売れ続けているそうだ。BOOK1が約550ページ、BOOK2が約500ページ。先日、西日本に新幹線で出張する時、行きに1冊、帰りに1冊読む。ちょうど7時間。

既に、新聞などには書評が一部登場しているが、おおむね好意的だ。私は原稿料もらうわけじゃないので、特に肩入れしないで思ったことを書く。もちろん、ほとんどの人は、本を買っただけなのかもしれないので、重要なあらすじは書かない。

まず、題名の「1Q84」だが、早い話が1984年のようなもの。「ような」というのは意味があって、この小説は、構造的に、3つの部分からなっている。ひとつは、売れない小説家志望の29歳の男性が、ある少女作家と合作をすることから起こる奇妙な体験。これが表の世界の西暦1984年。

一方、ある請負仕事をやっている女性インストラクターの世界があって、これが1Q84年である。いわゆるアナザーワールド。村上龍がアナザーワールドを書くと、世界最終戦争みたいな地獄の図になるが、村上春樹の方は、表の世界と、ほんの僅かに異なる世界を書く。例えば、月が二つある世界とか。

そして、3つ目のパートが、山梨県にある秘密の宗教法人。その世界との接点を、1984側の男性も、1Q84側の女性も持っている。そして、事態はより深刻な方向に進んでいく。

BOOK1で村上春樹はミステリのように、『謎』を無数にまき散らす。そしてBOOK2では、それらの謎を片づけていくはずなのだが、実は、いくつかの謎は解けやしないし、重要な登場人物(合作小説の編集者と男性の年上のガールフレンド)は途中で消えてしまって音沙汰なしになる。

これらに対する合理的な解釈は、ただ一つである。

まだ、続巻がある。

思えば、1994年4月に発表された、「ねじまき鳥クロニクル第一部と第二部」。どうも終わっていないような気がしていたところ、1995年8月になって「第三部」が追加され、完結。

1Q84も1、2年のうちにBOOK3とかBOOK4とかが続きそうな予感がある。

そして、作品の評価だが、個人的には「海辺のカフカ」の方が、上なのではないか、と思ったりする。


ところで、個人的な「感じ」なのだが、何より読んでいて「ドキドキ」したことは、この小説のあちこちに、身近な話が登場していること。

並べると、
1.沖縄県の蝶のこと。
先日、沖縄に旅行した時に、蝶の館に行った。

2.サハリンのギリアーク人のこと。
ギリアーク人は、きたるべきBOOK3で、どう関連付けられるか不明だが、先日読んだ二冊の間宮林蔵関係の本に登場。男尊女卑の人種なのか、その逆なのか、よくわからない。

3.ホテル・オークラのロビー
実は、きょう行く。

4.左翼から農業へ
そういう故人を知っている。

5.編集者小松さんのこと
小説の中で「小松」という編集者が登場し、姿をくらませるが、実は、まったく異なる世界の人物を追いかけていたら、その人物が「小松」という苗字ではないだろうかというところまできている。しかも、その「小松さん」だが、今、この世界から姿を隠しているのだ。


ところで、村上春樹を読むと、自分の過去の記憶箱がかき回されるような奇妙な感覚がある。さらに、身近なところの感覚の狂いが生じることもある。無人のエレベーターに乗る時や、地下鉄の入口の階段が妙に工事中だったりすると、「200Q年に行ってしまいそうな不吉な予感」が、大脳から足先の方に向って、血管の中を漂うのである。