麻布学(3)

2008-06-24 00:00:35 | 歴史
麻布学3回目は、東洋英和の「パトリシア・シッペル教授(女史)」による麻布・六本木外国人居住者の移り変わり。

この方、1971年にオーストラリアから来日して、その後、米国留学の後、本格的に日本の近代の研究に着手。本題以外にも、日本人の歴史書に書かれていないこぼれ話をたくさん知っている(本人には自覚ないと思うが)。

まず、幕末の長州藩下屋敷。今のミッドタウン。元々、長州藩が、上屋敷が手狭になったので、もう一つ何とかと幕府に懇願し、やっと手に入れた場末の土地を、大改造して、巨大な屋敷を建てる。人読んで「檜屋敷」。数千人が住んでいたとも言われ、本来、上屋敷に住むべき殿様も広いほうがいいと移ってきたようだ。そして幕末、参勤交替が中止になり、さらに京都蛤御門の変で幕府が長州藩と敵対関係になるや、幕府は檜屋敷の没収解体を命ずるや、僅か1日で風呂屋の燃料になってしまったそうだ。

その後、茶畑になり、軍用地になり、直前は防衛庁だった。

そして、その後、横浜が開港し、明治になって新橋=横浜間の鉄道が敷設され、横浜との連携で築地に外国人街ができる。今の聖路加タワーのあたりだ。もう一つの流れは、外交官。江戸末期にできた公使館が麻布周辺の寺院を改造していたことから、その回りに外国人が増えていく。そして、キリスト教解禁とともに来日したのが宣教師たちで、麻布には、カソリック、新教どちらも教会がいくつも建てられることになる。鳥居坂教会、東洋英和、明治学院、カトリック麻布教会・・・

今回、紹介された外国人は6名。

a)エドウィン・O・ライシャワー(1910-1990)
 彼は、いわゆる「BIJ」だそうだ。ボーン・イン・ジャパン。宣教師の子として日本で生まれる。父が明治学院の宣教師で白金台に居住していたそうだ。戦後の米国の日本大使として、もっとも重要でかつ有名である。考えてみれば、占領国日本の大使にBIJを配置するというのも、粋な戦略だったわけだ。有名過ぎるのでここまで。

b)ベアテ・シロタ(1920- )
 女性法律家で、「1945年のクリスマス」という著を出している。日本国憲法の草案を書いたと言われている。1945年クリスマスに米国の代表団の一員として厚木飛行場に降りる。この方の両親がまた有名で、音楽家である。ユダヤ系音楽家として、世界を彷徨中、満州で、作曲家、山田耕筰に遭遇。乃木坂の近くに住む。真珠湾開戦の1日前に、ベアテは米国に残り、両親はハワイ発の旅客船で日本に向う。両親は軽井沢の外国人集落に引越し、そのまま終戦となる。ベアテが乃木坂の旧家に向う著述は感動物だ(そうだ。読んでないので)。

c)リラ・キャボット・ペリー(1848-1933)
 女性画家。ご主人は慶応教授。三人の女児の母。日本で絵画を描く。f)で再登場。

d)E・カニングハム(1899-2000)
 西麻布で、音楽教室を開く。宮内庁御用達だったそうだ。101歳の長寿。外国人が日本食を食べると特に長寿になることを証明(と言う話はなかった)。

e)ジョサイア・コンドル(1852-1920)
 建築家で東大で教えた。その筋の話ではよく出てくる名前であるが、余芸で、麻布の自宅の庭でバラを栽培。私の推定だが、案外、「薔薇という字は難しい」と詠んだ詩人、西脇順三郎と親交があるのではないだろうか。西脇はある年齢まで、英語で詩を書いていた。

f)ジョセフ・グルー(1880-1965)と妻アリス・ペリー・グルー(1884-?)
 ライシャワーが戦後の日本大使の代表とすれば、戦前の米国日本大使でもっとも有名なのがグルー。1932年から10年間、日本で大使を務める。開戦後、日本の野村米国大使と交換の形で帰米する。奥さんのアリスとは1906年に結婚するがC)で登場したペリー一家の娘である。一体、グルーは日米関係の中で、どういう役目をもち、どういう仕事をしてどういう評価をすればいいのだろうか。特に、その時代を扱う歴史家は手薄だ。

そして、戦後の麻布・六本木外国人居住者のことを語るには、米軍による占領文化に触れることになる。講演者のシッペルさんは1971年に初来日した際、鳥居坂の国際文化会館に当面の居を定めたそうだが、坂を降りれば麻布十番。夏祭りで盛り上がる江戸っ子の町がある一方、坂を上れば六本木の繁華街。そこはありとあらゆる悪のはびこるソドムの街、という対象がどうしても理解できなかったそうだ(今でもそうだと思うが)。ハンバーガー・イン(1964~)とニコラス・ピザ・ハウス(1972~)が有名。


そして、戦後60年経った今、米軍はほとんど23区内からは撤退したのだが、ほぼ唯一残る施設が、青山にある「ハーディバラックス」。朝鮮戦争中に亡くなった米軍ハーディ伍長を記念して名前が付けられたとされ、現在は「星条旗新聞」の本部とされるが、多くの人からはスパイ組織と見られているようだ。ヘリコプター基地にもなっていて、米軍ヘリが超低空で飛ぶこともあり、たまにはふざけて二機で空中戦ごっこなどやっているようだ。日本以外でこんなことやっていると、住民から撃墜されるだろう(この段落は、まったく講演とは別に私が調査)。


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