カール・ユーハイム物語(最終神戸編1)

2006-06-22 00:00:40 | カール・ユーハイム物語
バウムクーヘンの王様、カール・ユーハイムの人生については、2006年1月18日から8回にわたり書いたのだが、さらに補足するため神戸へ行った。筆を置くにも、書き残しは嫌だから。

0acdb6ee.jpg(1)メリケン波止場
ユーハイム一家にとって神戸の桟橋には二回の想い出がある。一度目は、カールが第一次大戦のドイツ人捕虜として中国青島で拘束され、1918年まで5年間捕虜収容所に拘束され、戦後解放されたあと、東京の明治屋のレストラン部門「カフェ・ユーロップ」の菓子部門責任者として日本在住が決まってから、中国青島にいた妻子(エリーゼとカールハインツ(ボビー))を出迎えた場所だ。1919年1月25日07時00分神戸着の二人をカールは桟橋で4時間も待たせてしまう。東京から特急に乗らずにケチったため、遅刻してしまう。

そして、二度目は1923年の関東大震災の時。横浜へ出店して2年目のユーハイムの店は倒壊。さらに混乱状態の中、長男のボビーは行方不明になる。失意の夫婦は生まれたばかりの長女ヒルデガルトと三人だけで横浜を外国人専用避難船で神戸に脱出。しかし、奇跡的にボビーは4日後、フランス人女性の尽力により横浜脱出。神戸港で毎日こどもの帰還を待つ夫妻の前に現れる。

0acdb6ee.jpgその歴史あるメリケン波止場も、昨今の船舶大型化の結果、桟橋間の海面を埋め立てられ四角い土地のメリケンパークとなる。つまり、桟橋があったのは、この広場の東側と西側の部分で、中央部分は海だったはずだ。そして、西側にはポートタワーという物体が立っているのだが、どうみても横浜のマリンタワーのコピーのように見える(このように、神戸と横浜は多くの共通点があるのだが、後で作るほうが「マネ」をするのは、やめたほうがいい)。

ところで、このメリケン波止場の語源だが、メリケン=アメリカンである。つまり神戸はアメリカときちんとつながっていたのである。「赤い靴」の論考の中で、金田一春彦先生が、”横浜は米国とつながっていて、神戸は欧州とつながっている”と言ったとされるのは、日本郵船、東洋汽船といった日系船社の旅客便に限った話であって、外国船社や貨物便は横浜経由でアメリカに向かっていたし、さらには明治末期の移民船などは神戸から直接、南米に向かっている。

0acdb6ee.jpg(2)カール・ユーハイムの店舗(1930年)
頴田島一二郎氏著「カールユーハイム物語」によれば、震災の後、途方にくれたカールは、たまたま知人であったロシア人舞踊家アンナ・パブロバに出会い、彼女が所有していた三宮の一等地に「ユーハイムズ」の店舗を開店する。さらに経営が軌道に乗ったところで裏手に工場を建てる。店舗の写真は実在するし、古い番地は三宮町1丁目309番地ということで、近くには電停レンガ3丁目という市電の停車場があり、生田署も近くにあったことになっている。

0acdb6ee.jpg神戸に行く前に色々検討したところ、三宮駅の北、今の東急ハンズのあたりではないかと思っていたのだが、念のため神戸市立博物館(入口にロダンによる男性ヌード像があってちょっと恥ずかしいが)で古地図にあたると、どうも全然予想と異なっていて、駅の南側で三宮駅と大丸の中間あたりで、微妙に市電が小カーブするところのようである。裏の方には、今は移転した生田署もあったようだ。現在、神戸信金の小さなビルが建っている場所を第一候補として、となりのブロックの高層の朝日ビルを第二候補にしておく。

そして、気付いたのだが、横浜での最初の店舗も旧外人居留区と日本人居留区の接点の部分に店舗を開き、神戸でも外人居留区と日本人居留区の接点の場所に店舗を開いていることだ。マーケティング上、最高の立地であったわけだ。外国人でも日本人でも入りやすい店というわけ。

(3)ユーハイムの店舗(現在)
0acdb6ee.jpg三宮側から元町商店街に入ると、横浜の元町と違って、商店街に屋根がついていた。したがって、全体にちょっと暗い。すぐに左側に渋い色調の外壁の「ユーハイム本店」がある。(ユーハイム(株)の本社ではない。)

店内には、色々な新製品が並んでいて、たとえばバウムクーヘンでも上中下や極上まである。創業時に有名だったバウムクーヘンの量り売り(実際には切り落とされたものがグラム売りされている)もある。喫茶コーナーは二階にあり、コーヒーとバウムクーヘンのカット切り生クリーム添えを頂く。2階店舗の一方の壁面には古いドイツ人のポートレートが並ぶが、ユーハイム家の家族のものと、そうではない一般ドイツ人の写真がまざっている。その中で、絶対に見逃せないのが、向かって右端にあるちょっと大き目の額に入った、中央にエリーゼが椅子に座り、その隣にボビー少年が立っている写真だ。ボビー少年のその後の悲運とエリーゼの人生を思い出すと、一気に悲しさが湧き出してくる。残された写真は残酷だ。

次回は、カールの最晩年。