介護保険雑感(2/3)

2006-06-07 00:00:45 | 市民A
7f4ec0a3.jpg利用者側の事情

まず、この制度を理解していない人が多い。そして逆に、裏側まで熟知し、ルールの隅々まで利用して、徹底的に使っている人もいる(果たして、それが幸福なのか不幸なのかは別なのだが)。どうして、こう不均衡なのだろうか、考えてみる。

まず、この制度を利用している人たちだが、基本的には65歳以上で介護が必要な人ということである(もちろん、末期がんのように若くても利用できるようになった、というような例外が山のようにある、というのもルールの裏側が存在し、それによる利害関係や不公平感を生む原因になっているのだが、とりあえず、脇においておく)。

おそらく75歳くらいから、本格的に必要になりはじめるのではないだろうか。肉体的な能力、精神的健全さのレベルが急激に下がっていく頃である。女性の平均寿命86歳、男性が78歳ともなれば、85や90はざらになる。今年4月からは、受益者のランク付けが7段階に拡大した。軽いほうから、要支援1、要支援2、要介護1、要介護2、・・・、要介護5までである。実際にはこの要支援1、2、要介護1、2、3あたりが圧倒的に人数が多い。1年間有効の認定を受けると、月間補助金約5万円から約36万円程度の範囲内で保険金が支給される。非常に簡単に言うと、要支援1のランクの人が、6万円の介護サービスを受けると、保険範囲5万円までは、1割負担、つまり5,000円、5万円を超えた1万円は本人負担ということになる。この場合は4万5千円が保険から充当される。この保険カバー範囲が、認定ランクが重くなると増加していく仕組みだ。

そして、現在、制度は6年目であり、75歳の方は、人生の大部分、この保険料を払っていないわけである。そこにまず、制度を知らない最初の理由がある。

次に、健保、年金、介護保険と国が胴元になっている大型社会保障制度を並べてみると、健保というのは、若くても恩恵にあずかるものである。小さな病気なら、年齢に関わらず罹る。そして年金。未納問題は大問題だが、年齢というのも、いずれ共通に進んでいくものであり、普通であれば、大部分の人は65歳には到達する。まだ、わかりやすい。ところが、介護保険というと、実際、さっぱりわからない。90でも100でも介護など関係ない人は多いし、逆に病弱だと制度利用前に斃れてしまう。実際、利用しない率は、健保、年金にくらべ非常に高いだろう。そのあたりが、制度に興味がわかない第二の理由。

さらに、わざとであろうが行政が用意した「介護保険」という名称である。いかにも格好悪い。何か、自分で生活できなくなったような生活補助のような語感が漂う。本当は利用したほうがいいはずの人たちの羞恥心に反応しているのだろう。「介護?いえいえ、とんでもないですよ」ということである。また今の老人層は、碌に保険料を払っていない、という負い目もある。これが第三の理由である。実際、直近の制度改正では、「介護状態が進行しないためのデイケア(通所介護・マシンを使った体力増強や折り紙や算数などで脳を活性化させたりする)」にも重点が置かれている。早い話、どんどん介護人口が増えると困るのである。

一方、制度を徹底的に利用しよう(しゃぶる)という人たちは、保険の枠の許す限り、面倒な家事を家政婦サービスに頼んだり、宅配弁当を頼んだりして、その1割だけ払うわけである。一見、ズルイわけだが、そういう「家事をやらない」という怠惰な行為が、歩行(直立)困難や認知症といった病気につながるわけだが、老人になると怠惰になる、というジレンマがある。そして、そういうめちゃめちゃな要望に基づく人的サービスの単価は概ね時給4,000円くらいになっていて、その1割、400円だけで利用しようということなのだ。また、うまいこと申請して一食500円の宅配弁当に補助金をつけることに成功すれば、調理など馬鹿馬鹿しくなってしまう。

そして、この受益者側から見た問題は、まさに「人為的または自然発生的不公平」というところにあるのだろうが、おそろしいことにいわゆる人口学的な表現である「団塊世代」はまだ60歳になっていないのであり、あと15年ほど先に巨大問題になっているだろうということは容易に想像できるわけだ。さらに、その世代は保険料をたっぷり取られているのだから、申請に遠慮があるとは考えられない。

個人にできることは、「制度を勉強しておくこと」と、「介護が必要ないように努力しておくこと」は当然ながら、体力・知力に自信がない場合は、いつでも申請できるように準備だけはしておくことかもしれない。それと、将来、較差は縮小するだろうが、現在、市区町村により老人に対する支援制度は大きく差異がある。まず、認定の甘辛が存在する(存在しないことになっているのだが)。そして介護保険でカバーできない部分にさらに行政サービスが存在し、それがかなり違う。もし老後は居を移して、新たな人生を、ということを検討されるなら、事前調査がきわめて有効である。(調査会社を作っても、十分にニーズはあるだろう。それくらい違う。)

さらに、非常に重要なことだが、介護というのは、介護される方の問題でもあるが、介護する方の問題でもある。「介護疲れ」ということばもあるが、体力的にも気力的にも負担が大きい。そしてさらに問題なのは、介護というのにも技術と経験が必要なのだが、普通の人間は親の介護ですらうまくできないアマチュアなわけだ。例がきわめて悪いが、クルマのタイヤやオイル交換を自分でする人は少ない。専門家(オートバックスとか)に任せてしまう。まして、介護は扱うのは人間。これこそプロの仕事という捉え方もできる。

介護保険の諸サービスの多くは、介護する家族のための仕組みとも言えるのだが、介護される方はあまり気付かないものだ。

次は、介護ビジネス側の立場と制度全体の問題。

つづく