「和菓子で楽しむ道中日記」展(とらや)

2006-06-19 00:00:38 | 美術館・博物館・工芸品
94f79b5b.jpg展覧会が終わってから書くのは心苦しいのだが、5月17日から6月16日まで、赤坂の老舗和菓子店(というか羊羹屋というべきか)「とらや」の2階ギャラリーでささやかに開かれていた「和菓子で楽しむ道中日記」へ最終日に行った。なにしろ当日知って、当日行ってすぐに終了。「とらや」にギャラリーがあるなど知らなかったのだ。

さて、要するに全国の和菓子を並べるだけではなく、各種の旅行記に登場する話を元に、現存する和菓子(老舗)や、再現した和菓子が展示されていた。こうやって、あるテーマで展示すると、色々と見えてくる。有名なのは「東海道中膝栗毛」であるが、これは菓子に限らず、食べ物一般や道中の風俗を描いたものである。さらに、ガイドブックのようなものもあって、各地の代表的な食べ物や名所が宣伝された書物も多い。

そして、意外にも食べ物に特化した日記も多い。そういうものが展示されていたのだが、こと食い物は、身分の上下も男女の差もない。うまいものはうまいと書くし、まずいものは遠慮なくこき下ろしている。将軍では綱吉、大名では蜂須賀家の参勤交代記、大名藩主夫人や連歌師、狂歌師、医師・・・・

その中でも、この展示会最大の健啖家は、「田中国三郎の道中日記」だ。なにしろ豪快である。弘化二年(1845年)24歳の時、江戸から西へと出発(余談だが、この弘化という年号、赤い靴のきみちゃんの祖父の生まれた年号だ)。まず、この男、百姓なのだ。なのに姓を田中と名乗っている。さらに江戸といっても武蔵野国喜多見村(田園調布ということ)。末裔は農地解放で大金持ちかもしれないが、まだ江戸時代だ。出発は1月22日。一応農閑期だ。東海道を西に向かいながら、大好物の甘味道中である。2月10日頃伊勢参りをしたあと、さらに和歌山から大坂へ抜ける。確かに東国より西国の方が食べ物は甘い。

ところが、帰らないのである。さらに船に乗って丸亀に渡り、金毘羅さんへ行ったあと、伊予の国へ行き、道後温泉に浸かる(坊ちゃん饅頭はまだない)。さらに再び船に乗り、岩国錦帯橋まで行ってから山陽路を戻る。同じ道を帰りたくないのか、中仙道から信濃へ行って伊香保温泉によってから帰着。4月18日になっている。苗床作りにやっと間に合った。約3ヶ月の旅中、143の菓子を買っている。ブログを書かせてみたいもの。

それで、わかってきたのだが、和菓子の一つのパターンは道中のエネルギー補給という意味があるのだ。だから、餅が多い。そして、多摩川(六郷川)をわたると、必ず食べるという「米饅頭(よねまんぢゅう)」というのが、最近復活したことを知る。さらに、「とらや」のホームページは、一見つまらないが、よく読むと古今の有名人のお菓子の話がまとめられているコーナーがあって、なかなか楽しい。

次回は秋に展示会があるらしいので、今度は初日にでも行ってみたい。

94f79b5b.jpgところで、「とらや」と言えば思いだすのが、数年前の汚職事件。「とらや」とはまったく関係ない。ある茨城県の市長の執務室に土木関係業者が挨拶にくる。手土産は「とらや」の羊羹。1本5000円くらいのだろう。新規工事について差しさわりのない話のあと、市長は自宅に羊羹をもって帰り、妻に緑茶を入れてもらって、二人で羊羹の箱をあけると・・・

中には、羊羹ではなく「100万円」が・・・

お茶を飲んで、熟慮の末、返還を決めたそうだ。