自由の牢獄(エンデ)は、カフカ式?

2006-06-27 07:11:09 | 書評
2f9b8cb9.gif1991年から92年にかけ、ドイツ人ミヒャエル・エンデを読みまくっていた。「モモ」「ネバーエンディングストーリー」「ジム・ボタンシリーズ」など。それぞれ、世界的ベストセラーになっていた。モモのテーマの一つである「時間ドロボーと付き合わないこと」という部分は、なんと言うことかビジネスの格言となり「見込みのない客は切り捨てろ!時間の無駄!」というように変化していく。「ネバーエンディングストーリー」は映画化されシリーズものになる。エンデが書いていない第三作以降は、文字通りネバーエンディングムービーになってしまった。

そして、1995年にエンデ逝去。その後、気を配っていなかったのだが、どうも93年から95年にかけ、書かれたものが94年頃から翻訳され、国内で発売されていたようだ。最近、気がつき、ぼちぼちと手にとってみる。その一つが94年に発売された「自由の牢獄」。8編の短編集であるが、8編は完全に独立している。

読んでいて、これは「カフカ」ではないかと思わせるところが多い。「非日常性と日常性」、「悲劇と喜劇」。そういうものがからみあって不思議な世界が形成されていく。どちらかというと「大人が読むべ寓話集」というべきなのだろう。相変わらずのエンデスタイルではあるが、カフカのようでもある。

8編の中の1編だけ軽く触れると、第4話「ちょっと小さいのはたしかですが」では、「私」は公園のそばに止められた小さな車から大勢の人間の家族一同が降りてきたのを目撃する。さらにその家族に付き合うことになり、なぜか、話は進み、その考えられないくらい大勢の乗っている軽自動車に同乗するのだが、最新の設計技術はすばらしく、クルマの中は広々としていて、後ろの方には地下室への入り口があって、別の間があったり、一室ではおばあさんが寝ていたりして、さらに極めつけは、駐車違反で捕まらないように駐車場まで内蔵されているのである。

ところで、エンデの最晩年に書かれた作品を読み切ろうかとも思うのだが、出版社はほとんど岩波。多くの本が絶版に追い込まれた中、全集でしか読めないという状態である。そして、その全集は、最後の何冊かだけを読みたくても「分冊販売禁止」ということだそうだ。全集を全部買うべきか?悩みは深い。