五郎治殿御始末(浅田次郎)

2006-02-13 15:23:31 | 書評

b82dfa18.jpg作家と読者と作品の関係を野球に喩えれば、作家が投手であり、読者は打者である。無論、作品は投球そのものである。そして、投手は色々な技巧を使って、速球を投げたり変化球を投げるのだが、癖玉ばかり投げて読者がピッチャーゴロばかり打つような作品は好まれない。かといって豪速球を投げると、打者は見逃しの三振となり、これも困る。理想的には、打者もボールをバットの芯で捉え、快心の当りではあるが、最後は球威のおかげでセンターフェンス前で巨大な大飛球にとどまる、というくらいが好ましい関係であるだろう。

「五郎治殿御始末・浅田次郎」は作者の一つの得意技である「江戸末期ゾーン」から「維新を経て明治になったばかりの時代」に新天地を求める。6作の短編からなる短編集だが、テーマは「武士の滅び」。6つの短編に6つの滅びを用意するが、なぜか主人公は腹を切ったり、一暴れして自爆したりはしない。なんとか折り合いをつけていきながらスーっと世間から去っていく。

ところが、この江戸末期から維新の頃というのは、「読者としての私=打者」としては、得意ゾーンである。しかも、暦や時計が洋式になって苦労したというところは、以前、暦の研究したことがあるので詳しい。多くの短編は、甘いコースに入ってきたカーブのようなもので、軽々と振り抜くと、外野スタンドの上の方へ突き刺さる。あまり、打ち込むと「おめゃ~も、書いてみりゃ~」と頭にボールが飛んで来るので、少しだけ触れてみる。

椿寺・・戊辰戦争で幕府側で戦死した武士の息子が商人の丁稚をしているうちに、自分の父母の身の上を知る。→知らないほうがいい過去を知ることになる。

函館証文・・これも戊辰戦争で相手を組み伏せ、「首をはねる代わりに金千両の証文を書かせる」のがはやっていたらしい。その後、食い詰めた元サムライが証文をもって掛取りに向かうが、相手側がまた別の証文を差し出し、相殺取引となる。→生命保険の起源である(ウソ)。

西を向く侍・・この題名は、大の月、小の月の覚えかたのニシムクサムライをもじっている。幕府の天文係が新政府に就職し、太陽暦への変換事業にかかわるが、明治5年は12月2日が大晦日になるということで、給料が1ヶ月分なくなったり、借金取りが12月2日に駆け回ったりという史実をおこしている。→欧州でもユリウス暦からグレゴリオ暦に替わった1582年は10月4日の次の日が10月15日になり、10日間が消滅した。

遠い砲音・・新政府の近衛兵として、毎日、時の鐘のかわりに空砲をぶっぱなすお役目をいいつかった老兵が腕時計が読めずに何度も失敗する。→日本人のほとんどは時間に正確であった。だから通勤時間が数分の井伊直弼が暗殺されたわけだ。鐘の音で暗殺者は集結し、井伊直弼も鐘の音で出勤していた。大部分の日本人は、すぐに新制度に慣れたものと推測している。

柘榴坂の仇討ち・・その井伊直弼が暗殺されたあと、数名の暗殺側は事件後江戸から逃げてしまい姿をくらます。そして、仇討ちご法度になるのだが、井伊家の護衛兵の一人が、ついに仇を見つけ出す。しかし、追うものも追われるものも既に疲れきり、自分の方が斬られて果てることを望むので決着が着かない。結局、一緒に酒を飲みにいき、「明日こそはクルマ曳きになろう」と決心する。→まあ、人間って転職の時はそういうものかもしれない。

五郎治殿御始末・・同じ中京地区でも、薩長側についた尾張藩と幕府側についた桑名藩の間で揺れ動く侍の自分の身の始末についてだ。まあ、そんな話だらけだっただろう。→米国でも南北戦争の後は同じようになっていたのだろう。


さて、武士階級がいつ消滅したか、というのも難問題である。確かに身分制度としては、維新で終わりということだが、機能的には、大阪夏の陣で終わりという考え方もある。江戸時代は武士というより、官僚なのである。

私は、封建的武士思想というものの終焉は、戊辰戦争の終戦とともに戦死した土方歳三の死ではないかと思っている。巨大な城を東海道に並べた徳川家が無抵抗主義になり、江戸開城のあと幕府防衛軍は北へ北へと後退し、最後に函館五稜郭で榎本武揚が降伏を決意した時、土方はそっと城を出て行き、単騎で敵陣に突撃し、銃弾に倒れた。


なんとなく、浅田次郎の描く主人公達は武士の終わりというより、リストラされた過去産業の従業員というように思えてならない。やはり時代小説よりも、混沌とした現代社会の醜さを書いてほしいなと思ってしまう(センターフライ希望)。

かつて、「喜望峰」はじめ優れた海洋冒険小説を書いたあと、怪奇時代小説に転向した谷恒生の時もガッカリしたが、時代小説を書き続けると、文体が古風になってしまう。(例えば、「手紙を出そう」というのが「ふみをしたためようではないか」というようなことになる。浅田氏は自衛隊経験があるそうなので、「戦国自衛隊パート2」とか書いてみたらどうだろうか。