カール・ユーハイム物語(補1)

2006-02-27 07:32:13 | カール・ユーハイム物語
32984a8f.jpg先日、横浜関内を散策した際、ユーハイム1号店の場所を特定すべく歩き回った。結論から書くと、はっきりとは特定できなかった。が、二ヶ所の候補地に絞ってみた。少し事情を書いてみる。

私が、ブログ版ユーハイム物語(1-8)を書こうとしたのは、元々、2004年12月に、図書館から借りてきたある本を読んだことから始まる。「社名・商品名の謎/田中ひとみ(日本文芸社)」。もちろんこの本は、日本の老舗とか有名ブランドについて、書かれた本で、ユーハイムの名前は一覧表の一行に過ぎないのだが、妙に気になっていた。海外ブランドと思いこんでいたこともあるし、ドイツ人捕虜というのも心を落ち着かなくさせる。しかし、その時は調べる方法すらよくわからず、単にブログ用手帳に「ユーハイムのナゾ」と一行書かれるだけだった。

ところが、動き始めたのは、昨年の後半、高輪にある味の素社が運営する「食の図書館」で調べ物をしていたときだった。ふと思い出し、ドイツ菓子のコーナーへ行くと、ユーハイム関係の本が2冊あった。パラパラと見ると、うち一冊「カール・ユーハイム物語(頴田島一二郎)」という本はかなり詳しい事情が記されている。後日、その本を入手しようとしたのだが、これが大苦心のはじまりとなる。なにしろ1973年の本である。新泉社。その後、ネット上をうろついて、原価2000円程度でやっと黄ばんだ古本を手に入れる。そして、読み始めるのだが・・・

32984a8f.jpg実は、この本は読みにくい。彼の人生を、順に書いてあるわけではなく、手法として時間の逆転を多く使ったり、エピソードの話になると、エピソードごとに時間を追い始める。読み流すだけならいいが、まとめようとすると、大量のメモを作らなければならない。そして、いくつかの記載については、少し著者の誤解と思われる部分がある。古本には、何ヶ所かに赤鉛筆の訂正まで入っている。例の明治屋レストランである銀座ユーロップの場所の記載についても、近隣の他の老舗店舗の位置関係が腑に落ちない点もある。現地へ行って気付いた。その他にも、少し脚色を感じる点もある。

となると、この作者、頴田島一二郎氏のことをどこまで信じるかということが重要になるわけだが、この情報は少ない。まず、読み方は「えたじま、いちじろう」ということ。わかっている情報でいえば、1901年東京生まれ(中央区神田ということだが、神田は千代田区である)。1918年京城中学卒。和歌の道に進み、1931年文芸時報社に入り、投稿歌集ボトナムの編集にあたる。その後、不明の時期があり、戦争協力をしていたらしい(想像)。1945年に京城で終戦をむかえ、戦犯にならないように逃避行を続ける。以後46年間尼崎に居住。歌集ボトナム編集長にもなっている。1993年に横浜市戸塚区で没。92歳。戦前は6冊の小説を書き、歌集は戦前戦後に計7冊。戦前の小説のうち何冊かは、駐留軍により没収されている。「カール・ユーハイム物語」は72歳の時の作である。

彼のことをもう少し紐解いてみたいとは思っているのだが、まだ糸口は少ない。しかし、編集長など歴任した人物が嘘八百を書くとは思えない。やはり兵庫県で東京、横浜のことを書くとなると若干の不正確性が出るのかもしれない。

32984a8f.jpg横浜の店の部分の記述では、横浜駅(現桜木町駅)から、弁天橋を渡り、1.5キロ弁天通りを歩いたところにある、とされる。しかし、実際は現在の弁天通はそれほど長くない。関内の中央には県庁、日銀支店などの官公庁と横浜公園(現横浜球場)が存在し、海に向かって、左側(旧日本人居留区)と右側(旧外国人居留区)にエリアがわかれている。弁天通りは左側である。彼の記述では左側にあるのだが、関東大地震の時の避難の状況からいうと右側にあるほうが自然である。カールの息子のボビーは、家族と逆向きに迷ってしまって横浜公園に行ってしまい、両親は堀川を渡り、右の方の元町へ向かうのだが、そうなると元町に近い方にありそうなものである。

いずれにしても、まず弁天通りを歩いてみる。ナイトクラブがビルに鈴なりになっている。銀座日航ホテル裏と言った感じだ。通りの入口にはソープまでもある。そして道は官庁街にぶつかる。もし、この道沿いであったなら、官庁そばの東京電力のあたりだろうと思える。まあ、この道を歩き、弁天橋をわたったのだから、ユーハイム夫妻と空間を共有したということで満足することにする。次に、開港資料館で当時の地図を確認し、山下公園方面(つまり関内の右側)へ向かう(赤い靴のナゾも追っているからだ)。そうすると、海岸近くに、かなりインスピレーションの働く場所があった。

さほど一等地とはいえない場所だが、ホテル・ニューグランドの裏の道に「明治屋」のスーパーがある。思い出してみれば、ユーハイム夫妻は明治屋銀座店から独立してこのあたりに店を出している。そして、関東大震災で一帯が倒壊したあと、神戸へ避難した後、一度単身で横浜へ戻っている。そして、再建不可能という判断をして神戸で店舗を開くのだが、あるいはその際、横浜の権利を明治屋に譲ったのではないだろうか?明治屋のHPで見ると、当時、明治屋は横浜が本店だったが、場所は県庁より左側で、震災で全壊している。その後、本社は東京で再建。となれば、現在の明治屋ストア横浜山下店の場所はかなりユーハイム1号店と状況は一致してくるのだが確証はない。

しかし、とりあえず、ユーハイムの関東での足跡を追うのはここまでとする。あとは、神戸であるが、まだ自分なりのMAPは描けていない。ユーハイム本店の場所、また、カールの亡くなった六甲山ホテルは当時の建物を保存し、そのまま宿泊施設で使っているということがわかっている(当時の109号室が実在しているかどうかまではわからない)。そして芦屋霊園のユーハイム夫妻の霊前に、ブログ版ユーハイム物語のプリントアウトを供えねばならないと思っているのだ。