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ピストンエンジンは永遠か!な?

バイクを中心に話題を紹介します

ジレラのレコードブレーカー

2015年01月10日 | HISTORY

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ttp://www.easyrun.it/CFD.htm


170.27mphと初めて170の壁を破ってEric Fernihoughの記録を更新したのは、ムッソリーニの命令によりGileraが投入した当時の最高スペックといわれたスーパーチャージド水冷DOHC4気筒のRondine。同じ年にHenneにより3マイル負けたのはBMW WR500のほうが空力的に洗練されていたからだと思われます。




乗っているのは戦後GPチャンピオンにもなった伝説のピエロ・タルフィですね。




当時の先進メカニズムをそなえたスーパーチャージド水冷DOHC4気筒の開発をつづったビデオですが、元はカプローニ航空機会社(Caproni Aircraft company)からジレラが引き継いだのです。



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Eric FernihoughのBrough Superior-JAP

2015年01月06日 | HISTORY

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ttp://burographik.blogspot.jp/2011/12/race.html


一連のランドスピードレコードブレーカーの記事コチラコチラコチラの続きになりますが、1936年はドイツの国家的事業のようなBMWの新型255の投入により168.92mphの新記録を出し、それに対して英国の Eric FernihoughはBrough Superior-JAP superchargedでブルックランズで163.82mphの記録を出すものの、ヘンネが乗るBMWの記録には届きませんでした。


Fernihoughは1930年から34年までExcelsiorを駆りTTレースやGPで活躍したライダーですが、画像のようにBMWより明らかに空力の悪い車体でハンガリーの一般道(R5)で1937年に169.68mphの新記録を出しています。そして残念ながら翌年にハンガリーの同じ場所で事故により亡くなっています。


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ホンダ ヘリテージセンター ミュージアム

2014年12月25日 | HISTORY

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ホンダはオハイオのメアリズビルで新しいNSXを生産するとのことですが、ここは現在4つの生産工場があるうちの最初にアメリカ進出を果たした拠点で、さらに開発センターやミュージアムも新しくオープンしました。



バイクはともかく、懐かしいのは初代シビックですね。

今から考えるとちょっと気が早かったのですが、それまで乗っていたべレットGTを下取りに出して買ったのが出たばかりのシビック1200GLで、第1次オイルショック直前の昭和48年は価格も安く車両価格は545,000円。ただし今と違ってエアコンはオプション扱いでした。シビック自体はその前年にデビューしていますが、ディスクブレーキが付いたのはGLが出てからです。


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Ernst Jakob Henne

2014年12月23日 | HISTORY

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ttp://www.bmwmotorcycles.com/com/en/index.html?content=http://www.bmwmotorcycles.com/com/en/individual/news/2011/news.jsp&id=2188


Ernst Jakob HenneとBMWの関わりは上記の画像引用元サイトに詳しく書かれていますが、ランドスピードレコードでは1935年に256.046km/hという初めての250km/hオーバーの記録を出しているものの、翌年はR255をベース車に変更しています。R37系は大活躍したわけですが、ISDTとランドスピードレコードとは要求される性能はかけ離れているし、デビューしてからフレーム・サスペンションの基本設計は変わらなかったので激化する覇権争いの下では当然だったのでしょう。



Wikipedia


R255は2013年に48万ドルの値段がついたことでも有名ですが、バルブ駆動はDOHCになりベーン式の過給器もビルトインとなっています。


ttp://www.motoroids.com/features/visit-bmw-museum-munich-key-exhibits-details-image-gallery/attachment/bmw-wr500-speed-racing-motorcycle/


そして第2次大戦前の最後となる1937年にはフェアリングも洗練され、型式名もWR500となり新記録(279.503km/h)を達成しています。



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Ernst Henne Supercharged BMW R37

2014年12月19日 | HISTORY

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 ttp://silodrome.com/ernst-henne-supercharged-bmw/

Joseph S. WrightのZenith JAP は少々前に紹介しましたが、画像はErnst Jakob Henneが68mmから83mmにボアを拡大し500ccから750ccにしルーツブロワ(たぶん)で過給した100hpのR37で、Joseph S. Wrightに破られた自身の持つ1930年の記録(137.58mph)を更新し151.77mphを達成し王座を奪還しました。

 

 Wikipedia 


ベースになったR37はプロダクションレーサーで、OHV・68mm×68mmボアストローク・494cc・16hp/4000rpmでした。

 


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Autoped

2014年12月13日 | HISTORY

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ttp://thescooterscoop.com/2009/01/22/older-than-old-school-the-1917-autoped/


Autopedは世界最初のスクーターと言われていますが、その簡便さからか郵便配達にも使われていました。


ttp://heritageetal.blogspot.jp/2013/11/dr-who-turns-50.html


その後のスクーターはシートがついて着座乗車になりましたが、当時は現代のセグウェイより目立ったのかもしれません。


ttp://www.yesterdays.nl/autoped-1920-model-155cc-p-2460.html


シートがないのでハンドルポストごと折りたためますが、まさかこのためにシートを付けなかったとは?


 

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A. J. Stevens

2014年11月26日 | HISTORY

Wikipedia

AJSはスティーブンス兄弟のアルバートのイニシャルを使ったA. J. Stevens & Co. Ltdが正式名称で、1931年に破産するまでユニークなバイクを製造していた。


ttp://www.motodepocafacile.it/2013/12/04/moto-depoca-ajs-s3/


現存しているのは10台だというS3。今から考えるとせっかく量産に成功した当時では斬新なOHCからサイドバルブに後退した理由に納得できない思いもあるが、OHCのスポーツモデルに対しツーリングモデルはサイドバルブの方が有利だと判断したのだろうか。


ttp://www.classicbikersclub.com/gallery/2011-10/ajs-model-s3


ご覧のようにエンジンとトランスミッションの位置はかなり離れていて、長いプライマリードライブシャフトを開発するのに費用が掛かり車体の価格が高くなり、1930年代の世界恐慌と相まって破産してしまったのだとか。コンパクトな縦置きVツインをバランス良く納めるにはこのレイアウトしかなかったのかもしれない。


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カウルとヘッドライト

2014年11月07日 | HISTORY

2015年のR1はメカニズムとともに外観も大きく変わって、サーキットを更に意識するデザインになりヘッドライトがLEDになり本来の役目に徹することになった。

まあ、他のメーカーもそうだが、ヘッドライトのレンズは大きくカウル全体の1部となっていた。

Ninja H2もLEDなのか必要最小限の大きさだが、志向がだいぶ異なる。今後流れがどうなるか気になるところ。

ところで、日本の量産車の中で一番早い時期に採用されたカウルはこのZ1R(1978年)あたりだろうか。

Z1Rは輸出モデルだったが、国内モデルの1981年CB750FボルドールⅡにはオプションでカウルが用意され、納車前に取り付ける必要があった。

いわゆるレーサーレプリカ元祖のガンマだが、スクリーンがやけに立っているものの他社のツーリング向けフレームマウント大型カウルやハンドルマウントミニカウルとは大きく異なる。

それまでは汎用やそれに近いヘッドライトを用いていたのでカウルのスタイリングに制約があったが、このあたり(1985年GPZ1000RX)からカウルに対してフラッシュサーフェイスが可能になった

しかし、ヘッドライトレンズを専用設計にできたのは、生産台数が多いスクーターなどのほうが先であった。これは1981年発売のスカッシュ。ロードパルやパッソルも小さい角型レンズだったが複数モデルに使い回していたと思う。

現在のヘッドライトはクルマもバイクもポリカーボネイトなどの樹脂で、全体のデザインの一部になっているのは当たり前で、その変遷の過程には発光メカニズムそのものの変化(白熱電球→シールドビーム→ハロゲン→HID→LED)もあったわけで、こうして振り返ってみるとこの30年余りの変化は大きい。


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