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日本の高校歴史教科書における東アジア古代史叙述 6

2008年06月24日 | 会議
六、東アジア共通のインターナショナルな歴史教科書叙述をめざして
 1960年に、上原專禄編『日本国民の世界史』(岩波書店)が出版された。本書の原本は、1956年から日本の高校社会科の世界史教科書として使用されていたものであるが、1956年の学習指導要領の改定にともない、1959年度以後は継続使用できなくなった。
 筆者(上原專禄ほか6人)は、その原本を全面的に改稿し、その新稿を1957年の検定に提出したが、不合格になった。筆者はさらに誤記・誤植を訂正して1958年7月にふたたび検定に提出したが、これも同年11月に不合格とされた。
 筆者は、書物全体の構造と内容の根本にふれる検定をこれ以上は容認できないとして、本書を教科書として出版する試みをやめ、独自に本書を出版した。
 本書は、検定を拒否し、筆者の歴史思想・歴史観の表現を、日本国家権力をふくむ他者に妨害されることなく、独自に出版されたものである。
 だが、『日本国民の世界史』と名づけられた本書の叙述は、根深い日本ナショナリズムに貫かれている。
 本書の筆者は、ヨーロッパ中心史観を克服できておらず、民衆を歴史の主体とする歴史意識も希薄である。世界史的な東アジア史の民衆運動にかんする叙述はきわめて少ない。 
 日本植民地支配下の朝鮮における最大規模の民衆運動である三・一独立運動にかんする記述がない(同じ1919年の中国での五・四運動についての記述はある)。イスラエルのパレスチナ侵略にかんしても、「国連の決定に基いて、1948年5月、パレスチナにはユダヤ人のイスラエル共和国が建設された」という、シオニストによるパレスチナ占領支配を肯定する虚偽が書かれている。
 また、本書には、敗戦後の日本について、「日本では降伏後、1946年11月、あらたに“日本国憲法”が公布され、戦争を放棄することが明示された」と書かれているが、日本国民が天皇ヒロヒトの侵略責任(植民地支配責任・戦争責任・戦後責任・現在責任)を追究せず、天皇制を維持し続けてきていることが書かれていない。
 この『日本国民の世界史』が示しているように、検定とは別の次元で、日本の歴史教科書に内在している日本ナショナリズムは、いまも、克服されていない。

 歴史教育は、生徒に史実を教える教育ではない。
 史実は教えることはできない。
 教えることができるのは、史実をいかに認識するかという歴史認識の方法である。
 史実認識の方法と内容は、認識者の歴史思想・歴史観によって規定される。
 きのう起こったこと、すなわち、きのうの史実をいかに認識するかということも、認識者の社会意識・社会思想に規定される。
 70年まえの史実認識においても同じである。
 日本政府の首相や一部の国会議員などが、日本軍隊性奴隷制にかんして日本政府や日本軍に直接責任はないと強弁しているが、かれらの歴史認識は、かれらの利害、かれらの思想に規定されている。
 歴史教育の場においては、このような無恥であやまった歴史認識をもつ者を育てない教育をおこなわなければならない。
 1910年、「韓国併合」に反対する思想・歴史意識をもつ日本人はほとんどいなかった。
 国民国家日本の教育は、他地域・他国侵略を肯定し支持し加担する日本人をつくりだす教育であった。そのような教育の中心は歴史教育であった。
 
 歴史教育の場で、教師は、生徒に史実を教えるのではなく、史実を認識する方法を生徒とともに考えなければならない。歴史教科書は、そのための道具である。歴史教科書の叙述を史実であると誤解してはならない。
 歴史教育の場において、教師は、歴史の真実に到達するための方法を生徒とともに語りあわなければならない。日本の歴史教科書に示されている日本ナショナリズムを克服することは簡単ではない。
 日本では、在日朝鮮人の子どもたちの多くも、日本の学校で、日本の歴史教科書を使わされている。日本の歴史教科書を変革していくことは、在日朝鮮人の課題でもある。
 この課題は、東アジアにおける共通のインターナショナルな歴史教科書叙述をめざす民衆運動のなかで達成されるだろう。
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