ドキュメンタリー『海南島月塘村虐殺』で、わたしたちは、1945年5月2日に日本兵によって命を奪われた月塘村の人びとの生と死の軌跡をたどろうとしました。60年を越す歳月のまえのある日に突然いのちを奪われた、いまは不在の人たちの生と死を、どのように映像で表現するのか、どうしたら、映像で表現できるのかを考えつづけながら。
殺害現場、墓地の映像では、殺された人たちのそれまでの生を表現できません。あの時まで、殺された人びとが呼吸していた月塘村の大気や、浴びていた月塘村の光を撮影する方法を、わたしたちは模索しました。殺された人びとのそれまでの生を表現できなければ、その死の重さを、意味を表現できないと思ったからです。
その模索の過程で、わたしたちは、ドキュメンタリーで表現できるのは、表現しなければならないのは、対象そのものではなく、対象と自己の関係ではないかと考えはじめました。
おそらく、対象と向き合う者のありかたによって、映像としての対象が規定されるのでしょう。
死者の生と死の軌跡を映像化しようとするとき、対象は直接的な映像としては実在せず、ただ関係においてのみ「実在」するのかもしれません。
佐藤正人
殺害現場、墓地の映像では、殺された人たちのそれまでの生を表現できません。あの時まで、殺された人びとが呼吸していた月塘村の大気や、浴びていた月塘村の光を撮影する方法を、わたしたちは模索しました。殺された人びとのそれまでの生を表現できなければ、その死の重さを、意味を表現できないと思ったからです。
その模索の過程で、わたしたちは、ドキュメンタリーで表現できるのは、表現しなければならないのは、対象そのものではなく、対象と自己の関係ではないかと考えはじめました。
おそらく、対象と向き合う者のありかたによって、映像としての対象が規定されるのでしょう。
死者の生と死の軌跡を映像化しようとするとき、対象は直接的な映像としては実在せず、ただ関係においてのみ「実在」するのかもしれません。
佐藤正人