三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

朝鮮人追悼碑の土地の課税に抗議するつどいの報告

2012年07月12日 | 紀州鉱山

 7月8日、三重県津市の三重県教育文化会館で、わたしたちは裁判闘争の決起集会を開催しました。
 2011年3月に熊野市と三重県の課税を不当として津地裁に提訴した裁判は、12月に棄却という不当判決がだされました。
 わたしたちは直ちに控訴して、4月に名古屋高等裁判所で控訴審が開かれましたが、その最初の裁判(口頭弁論)で高裁の裁判官は弁論の終結を宣告し、6月7日には熊野市を被控訴人とする控訴に対して、控訴棄却の判決がだされました。わたしたちは直ちに最高裁に上告をしました。
 この裁判闘争の経過を報告するとともに、朝鮮人追悼碑の土地の課税に抗議し、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑の敷地(「追悼の場」)の税金を払わない歴史的意味を集会参加者全員で再確認し、行政の歴史的責任を問うために、今回の集会を開催しました。
 この集会には、韓国から慶尚北道の道議員4名(金昌淑さん、李英植さん、洪普圭さん、羅玄雅さん)が参加してくださいました。この4名の議員の皆さんは、今年4月初旬に来日し、熊野市と三重県を訪問して、追悼碑の建立の地に課税する行政に対して、課税をしないよう要請する活動に取り組んだみなさんです。
 集会では、はじめに、2008年に制作したドキュメンタリー『紀州鉱山に強制連行された人たち 故郷で』を上映しました。
 続いて、『ウリ コヒャン 朝鮮から紀州鉱山へ』という演劇を上演しました。
 この演劇は、会がこれまで調べたことをもとに、3人の男性が朝鮮の故郷から連行され、紀州鉱山で労働を強いられ、死亡したり、逃亡したり、過酷な運命をたどった朝鮮人の物語をシナリオにしたものです。役割を分担した出演者は、そのシナリオを元に、自分のセリフを肉付けしながら、演劇が進行しました。集会の日の前夜まで、メールでシナリオを検討しながら、出演者がそれぞれのセリフを自分で考え、当日はまったくのぶっつけ本番で演劇がおこなわれました。
 朝鮮の江原道の村から3人の男がどこに連れて行かれるのかわからないままに、家族と離れて連行される場面から始まり、紀州鉱山での過酷な労働を強いられ、飢えと病で死に至る人、逃げようとして川でおぼれ死んだ人、逃亡を断念して鉱山に残る人、さまざまな人々の思いと行動が演じられました。最後は、紀州鉱山で亡くなり、石になった人が、その石に結ばれたリボンを解かれて、自分の思いを語り、追悼碑の場が強制労働によって命を奪われ、故郷と家族を奪われた人の思いを表現した場とあることを表現しました。
 それぞれがシナリオに沿った場面展開を考慮しながら、ぶっつけ本番でせりふを考えながら演劇が進行しましたが、会場からの掛け声や会場とのやり取りを交えて、参加者全員が演劇に参加し、追悼碑にこめられた歴史の真実を語りだす場になったように思います。
 キムチョンミさんが最後に述べていましたが、演技がうまかったというよりも、紀州鉱山に連行された朝鮮人の運命に対するみんなの深い想像力がこの演技に表現され、みんなの熱意の結晶としてこの演劇を創造できたことが、見る人と演ずる人の一体感を生み出し、感動を引き出したように思います。
 演劇を終えた後、道議員のみなさんが前に出て、ひとりひとり感想を話してくれました。
 金昌淑さんは、「演劇を見ていて涙が出た。わたしたちがしなければならないことをやっていただいている。真実は必ず明らかにされると信じている。わたしたちのできることは協力をしていきたい。問題をできるだけ友好的に解決していきたい」と語りました。
 李英植さんは、「前回と今回、2度日本に来ることで事実をはっきり知ることができた。皆さんとともに歩んでいきたい」と語りました。
 洪普圭さんは、「真実を明らかにすることに全力を尽くしている皆さんに感謝したい。韓国に帰って何をすることができるか考えていきたい」と語りました。
 羅玄雅さんは、「みなさんの情熱を知り、深く感動した。今は実現が難しくても、たとえ次世代、次々世代になってでも解決するように努力したい。個人はなくなっても、民族は残ると思う」と話しました。
 道議員のみなさんのあいさつのあと、休憩をはさんで、まず竹本昇さんから裁判の経過についての報告しました。竹本さんは、「訴訟の要点は、熊野市と三重県が追悼碑の建立地の公共性を認めないことにある。熊野市も三重県も、朝鮮人の強制連行に加担したという歴史的な責任をとろうとせず、追悼碑の土地を私有地として課税するという事務的な処理を行い、裁判所はこのような行政の事務的な処理を追認した。また三重県は、われわれの減免の手続きを妨害した」と指摘しました。
 その後の会場での参加者全員の討論を前提にして、最後に、佐藤正人さんが、これからの運動の進め方についての問題提起をしました。佐藤さんは、「朝鮮人犠牲者の追悼碑の土地に課税し、その税金を払うことは、日本の植民地支配と侵略戦争を肯定しそれに加担する行為であること、納税を拒否することこそが日本の政府と行政の歴史的責任を問うことだ」と強調しました。ついで、これから追悼の場をどのように創造していくかについて提起し、追悼の場をみんなの力で創造・整備していく過程で紀州鉱山の朝鮮人労働者がどのような状況に置かれていたのかについてさらに調査すると同時に、この追悼の場をアジア全域の朝鮮人の強制連行の実態を明らかにする拠点としていくことを提案しました。また、熊野市が今年も課税してきた固定資産税に対して不服申し立てをすると同時に提訴についても検討することが提案されました。
 2011年3月に提訴して以来、弁護士をつけない本人訴訟のため、わたしたちの会は、訴訟のための文書作成に多大なエネルギーと時間を使ってきましたが、この訴訟を通して会の運動の意義が日本の国内だけでなく、韓国の道議会やマスメディアにも受け止められ、広いネットワークを築くことができたように思います。そして今回の集会と演劇がその成果を集大成する内容となったように感じました。
                                        斉藤日出治


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