三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

紀州鉱山への朝鮮人強制連行 3

2011年09月22日 | 紀州鉱山
■紀州鉱山への朝鮮人強制連行
 第3 「官斡旋」は強制連行の手段

 1938年5月の「国家総動員法ヲ朝鮮、台湾及樺ニ施行スルノ件(勅令316号)」によって、「国家総動員法」が朝鮮で「施行」された(朝鮮総督府企画室編纂『朝鮮時局関係法規 全』〈台本1938年10月~追録15号1944年9月〉参照)。
 この「国家総動員法」を前提にして、1939年7月4日に日本政府は1939年度の「労務動員実施計画綱領」を閣議決定した。そこでは、
    「朝鮮人の労力移入を図り適切なる方策の下に特に其の労力を必要とする事業に従事せしむるものとす」(第13条)
とされていた。朝鮮人の日本への連行(「労力移入」)は、閣議決定により国民国家日本の政策として実施された。それは、「従事せしむるもの」という強制的なものであった。
 1939年7月28日に、「朝鮮人労務者内地移住に関する方針」、「朝鮮人労務者募集要綱」(内務・厚生両次官名義の依命通牒)がだされ、「募集」方式での朝鮮人の日本への労働者としての連行が開始された。
 アジア太平洋戦争開始2か月後、1942年2月に日本政府は「朝鮮人労務者活用に関する方策」を閣議決定し、「官斡旋」方式での朝鮮人の日本への労働者としての連行が開始された。
 厚生省が提出した1943年の第84回帝国議会参考資料文書によれば、朝鮮人の日本への連行実施にあたり、厚生省、拓務省、朝鮮総督府が協議し「具体的移入要綱」を決定し、「朝鮮人労務者募集要綱」を地方長官に通牒している。「特に其の労力を必要とする事業」(軍需指定事業)の事業主は、「移入許可申請」を職業指導所に提出し、日本政府の許可のもとで朝鮮人を日本に連行している。
 1944年9月に日本政府は「半島人労務者ノ移入ニ関スル件」を閣議決定し、「徴用」方式での朝鮮人の日本への労働者としての連行が開始された。
 「募集」方式での朝鮮人の日本への労働者としての連行、「官斡旋」方式での朝鮮人の日本への労働者としての連行、「徴用」方式での朝鮮人の日本への労働者としての連行のいずれも、朝鮮人の自由意志にもとづくものではなく、強制力の強度の違いはあったが、いずれも強制的な連行であった。
 日本政府は、現在にいたるまで、朝鮮人強制連行にかんする具体的な調査をほとんどおこなっておらず、関係文書も十分には公開しておらず、特に重要な基本文書は隠蔽しており、強制連行した朝鮮人やその遺族に謝罪も賠償もしていない。
 そのような状況のなかで、昨年(2010年)3月10日、衆議院外務委員会で自民党議員の1人が、1959年7月11日の外務省文書「在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とくに、戦時中の徴用労務者について」をとりあげ、
    「もし、この記載が正しければ、いわゆる強制連行と呼ばれる事実がなく、同じ日本国民としての戦時徴用と呼ぶべきであるということ、それから、1960年(原文元号)時点で戦時中に徴用労務者として日本内地に来られた方が二百四十五人にすぎず、原口大臣がおっしゃった強制連行論というのは、四十六万九千四百十五人も現在おられる永住韓国人への参政権付与の根拠とはなり得ないこと、そしてまた、日本政府として、特にこの戦時徴用者を優先して、韓国に帰還したい方々の帰還支援を行っていたということが示されたと言えると思います」
と発言している。この発言は、翌日の『産経新聞』で報道され、その直後から、朝鮮人強制連行という事実はなかったといういつわりの歴史を主張する日本人によって、1959年7月13日の『朝日新聞』東京版朝刊記事「大半、自由意志で居住 外務省、在日朝鮮人で発表 戦時徴用は245人」とともにネット上などで流布された。
 たとえば、
   http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/23.html
   http://www.asyura2.com/09/senkyo70/msg/958.html
   http://makizushi33.ninja-web.net/SEIKATUHOGO.htm
   http://brain.exblog.jp/3865449/
   http://blogs.yahoo.co.jp/mirokuninoti/38565781.html
   http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3775.html
など。
 その後、日本政府は2010年7月1日の閣議で、「245人にすぎない」とした1959年7月の外務省発表について「詳細について確認することができないため、お答えすることは困難である」とする答弁書を決定した。
 その1年後2011年7月に被告熊野市が「答弁書」の唯一の証拠文書としてだした乙第1号証は、2010年3月ころ出回っていたこの新聞記事であった。こうして被告熊野市は、みずからいくらかでも実証的に朝鮮人強制連行・強制労働にかんする歴史的事実を追究しようとしないで、歴史を偽造しようとする日本人の言説を利用し、歴史の偽造に加担しているのである。
 日本政府は朝鮮人強制連行の歴史的事実を調査せず、事実を隠蔽し、謝罪も賠償もしてないが、韓国政府は、強制連行された朝鮮人とその遺族に日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会などの調査にもとづいて、補助金を払っている。
 日本政府が事実調査を回避し続け、基本資料を隠蔽していることもあって、「募集」方式、「官斡旋」方式、「徴用」方式での朝鮮人連行の実態を明らかにするためには、被害者やその遺族などからの証言を聞かせてもらうことが重要である。また、加害者から事実を話してもらうことも重要である。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 紀州鉱山への朝鮮人強制連行 2 | トップ | 紀州鉱山への朝鮮人強制連行 4 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

紀州鉱山」カテゴリの最新記事