三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

「主観的な不満をいうものにすぎない」という裁判官の無恥の空言批判

2014年06月20日 | 紀州鉱山
 5月22日に、熊野市を被告とする第2次訴訟の3回目の裁判(口頭弁論)のときに、実質審理をほどんどおこなわずに判決をだそうとした津地裁の担当裁判長を、紀州鉱山の真実を明らかにする会は忌避しました(このブログの5月22日の、「実質審理ができない津地裁民事部坪井宣幸裁判長」をみてください)。
 5月26日に、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、津地裁に 「坪井宣幸裁判長忌避申立理由書」をだしました(このブログの5月26日の「坪井宣幸裁判長忌避申立理由書」をみてください)。
 その翌日5月27日に、津地裁民事部の井口礼華裁判長、佐田崇雄裁判官、中井沙代裁判官は、忌避申立てを却下するという「決定」をだしました。そこには、「申立人らが主張する忌避申立ての理由は、基本事件における坪井裁判官の訴訟指揮又は審理の方法に対する主観的な不満をいうものにすぎない」と書かれていました。
 きょう(6月20日)、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、名古屋高等裁判所に、坪井宣幸裁判長忌避申立却下決定に対する即時抗告理由書をだしました。ここで紀州鉱山の真実を明らかにする会は「主観的な不満をいうものにすぎない」という裁判官の強権的で主観的な妄言の根拠を分析・批判しました。
 裁判官忌避は、日本国家の裁判制度の根本を揺るがす問題です。歴史的国家犯罪にかかわる訴訟において、当該「事件」の社会的・歴史的な本質問題を「審理」しようとしない裁判官の忌避を裁判所が認めたら、国民国家日本の裁判制度は崩壊します。
 この「坪井宣幸裁判長忌避申立却下決定に対する即時抗告理由書」で、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、そのことを明らかにしました。
 その本文の全文は、つぎのとおりです。
                                            佐藤正人
 


■坪井宣幸裁判長忌避申立却下決定に対する即時抗告理由書

即時抗告の理由
 津地方裁判所民事部の井口礼華裁判長、佐田崇雄裁判官、中井沙代裁判官は、2014年5月27日付で「坪井宣幸裁判長忌避申立」を却下した。
 この却下は社会正義に反するとともに不法なものであるから、抗告人は、2014年6月7日に「坪井宣幸裁判長忌避申立却下決定に対する即時抗告申立書」(2014年6月6日津地方裁判所が受理)を提出した。
 即時抗告の理由は次のとおりである。

(一)3裁判官は、「裁判の公正を妨げるべき事情」の解釈を誤っている
 却下決定文で井口礼華裁判長、佐田崇雄裁判官、中井沙代裁判官は
   「行政事件訴訟法7条により準用される民事訴訟法24条1項にいう「裁判の公正を妨げるべき事情」とは、
   通常人が判断して、裁判官と当該事件との関係からみて、偏頗・不公平な裁判がなされるであろうとの懸念
   を当事者に起こさせるに足りる客観的な事情をいうところ、申立人らが主張する忌避申立ての理由は、基本
   事件における坪井裁判官の訴訟指揮又は審理の方法に対する主観的な不満をいうものにすぎないから、上記
   の客観的な事情に当たると解することはできない」
とのべているが、この説明は、3人の裁判官が公正な裁判をおこないうる裁判官としての思想と感性と法意識を欠落していることを示している。
 3裁判官は、
   「民事訴訟法24条1項にいう「裁判の公正を妨げるべき事情」とは、通常人が判断して、裁判官と当該事
   件との関係からみて、偏頗・不公平な裁判がなされるであろうとの懸念を当事者に起こさせるに足りる客観
   的な事情をいう」
と断定しているが、民事訴訟法24条1項は、
   「裁判官について裁判の公正を妨げるべき事情があるときは、当事者は、その裁判官を忌避することができる」
というものであって、「裁判官について裁判の公正を妨げるべき事情」が、「通常人が判断して、裁判官と当該事件との関係からみて、偏頗・不公平な裁判がなされるであろうとの懸念を当事者に起こさせるに足りる客観的な事情」であるという説明は論理性も客観性もない恣意的な断定である。
 「裁判官について裁判の公正を妨げるべき事情」にかかわって「裁判官と当該事件との関係からみて……」という限定を加えるようなことは、「通常人」はやらない。
 この限定は、公正な裁判を誠実に行なおうとしない裁判官が、「当該事件」との特殊な関係をもっていることを前提としており、審理内容の社会的客観性、審理されるべき諸事実の歴史性を自覚できないがゆえに不公正・偏頗・不公平な裁判(訴訟指揮)を行う裁判官を忌避する道を閉ざしている。
 裁判官が「当該事件」との特殊な関係をもっている場合はもちろんであるが、民訴訟法は、客観的に一般的に「裁判官について裁判の公正を妨げるべき事情があるときは」、裁判官を忌避できると明確に規定しているのである。
 民事訴訟法の「裁判官の忌避」にかんする条項のなかの「裁判官について裁判の公正を妨げるべき事情」という基本的な規定にたいする恣意的な限定的な解釈を前提として、津地方裁判所民事部の井口礼華裁判長ら3裁判官は、
   「申立人らが主張する忌避申立ての理由は、基本事件における坪井裁判官の訴訟指揮又は審理の方法に対する主観的な不満をいうものにすぎないから、上記の客観的な事情に当たると解することはできない」
と言って、抗告人の坪井宣幸裁判長忌避申立を却下する決定を出している。
 この決定は、民事訴訟法の「裁判官について裁判の公正を妨げるべき事情」という基本的な規定を誤って解釈してなされたものであるから、不正、不法である。
 津地方裁判所民事部の井口礼華裁判長らは、「裁判の公正を妨げるべき事情」を「裁判官と当該事件との関係」という枠内におしこめて、裁判官忌避を回避しようとした。
 重要なのは、「裁判官と当該事件との関係」が、当該裁判官と当該事件との特別な関係があるかどうかではなく、当該事件を審理するにあたっての裁判官の歴史意識、正義感、法意識なのである。
 公正な審理のために不可欠の実質審理を行なおうとしない民事部の裁判官が、突然弁論を強権的に終結させようとした場合には、抗告人(当時の原告)が、当該裁判官を忌避するのは当然のことである。このような場合には、当該裁判官が当該事件との特別な関係を有していなくても、不公正な裁判がなされており、当事者は公平・公正な裁判を受ける権利を侵害されていることは明かであるから,忌避が必ず認められなければならない。
 抗告人は、当該事件の基本問題を明らかしようとしないまま、判決を出そうとした坪井宣幸裁判長を、民事訴訟法に基づいて、「裁判官について裁判の公正を妨げるべき事情がある」として忌避したのである。
 このことについては、原告が申立人として、2014年5月26日に津地裁に提出した「坪井宣幸裁判長忌避申立理由書」(特に、「3、坪井宣幸裁判長は、実質審理を行わず、弁論の終結を図ろうとした」)で簡潔にのべている。
 朝鮮人強制連行・強制労働は、国家と企業によってなされた犯罪である。紀州鉱山に連行し強制労働に就かせ死亡させた犯罪に加担した 熊野市が、そのことに対する責任をとろうとせず、逆に、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立した土地に課税するという、行政のこの行為は社会正義に反している。
 坪井宣幸裁判長は、社会正義を確立し人権が尊重される社会を実現するために、抗告人が主張する歴史的事実、事件の基本問題を審理しなければならなかった。
 しかし、坪井宣幸裁判長は、基本問題にかかわる諸事実を審理しようとせず、紀州鉱山で亡くなった犠牲者の遺児の証言を聞こうともしなかった。
 2014年5月21日に「関西電力大飯原発3、4号機・運転差し止め請求事件」で判決を出した福井地方裁判所の樋口英明裁判長は判決文の中で、「人格権の我が国の法制における地位や条理等によって導かれるもの」として、「差止めが認められるのは当然」とのべている。また、「この判断を避けることは裁判所に課せられた最も重要な責務を放棄するに等しい」とのべている。
 本件訴訟においても、裁判官は、事件の社会性・歴史性を深く自覚し、事実を主体的に認識し、良心に従って審理を行わなければならない。

(二)「行政事件訴訟法7条により準用される」という文言の詐術
 井口礼華裁判長ら3人の裁判官は、「行政事件訴訟法7条により準用される民事訴訟法24条1項」とのべている。
 だが、行政事件訴訟法7条は、「行政事件訴訟に関し、この法律に定めがない事項については、民事訴訟の例による」というものであって、ここで、わざわざ民事訴訟法24条1項に「行政事件訴訟法7条により準用される」という規定句を付け加える必要はないのである。
 3裁判官は、不要で空疎な「行政事件訴訟法7条により準用される」という文言を付け加えて問題の本質を不明瞭なものとしている。
 「行政事件訴訟法7条により準用される」という規定句自体があいまいで不明瞭なものである。3裁判官は「準用」という法律用語を使っているが、「により準用」というのは、どういう意味なのか。
 「行政事件訴訟法7条により準用される民事訴訟法24条1項」という文章のなかの「行政事件訴訟法7条」というコトバを、実際の「行政事件訴訟法7条」の条文に置き換えると、つぎのような文章になる。
 「行政事件訴訟に関し、この法律に定めがない事項については、民事訴訟の例による(という条文)により準用される民事訴訟法24条1項」つまり、3裁判官は、「民事訴訟の例による〔という条文〕により準用される民事訴訟」という粗雑な同義反復をおこなっているのである。裁判官を職業とする者の、このような作業は、「通常人」にたいする詐術である。

(三)「主観的な不満をいうものにすぎない」という裁判官の強権的で主観的な妄言
 井口礼華裁判長、佐田崇雄裁判官、中井沙代裁判官の3裁判官は、
   「申立人らが主張する忌避申立ての理由は、基本事件における坪井裁判官の訴訟指揮又は審理の方法に対
   する主観的な不満をいうものにすぎない」
とのべている。
 抗告人は、本訴訟において、日本政府と日本企業(この場合は石原産業)によって三重県熊野市(当時は、紀和町)の紀州鉱山に故郷の朝鮮から強制的に連行され、劣悪な労働・生活条件のなかで、故郷に再び戻ることができないまま亡くなった朝鮮人を追悼する碑の敷地にたいする紀州鉱山の真実を明らかにする会への課税が、不正・不当・非人道的であることを、裁判官が、証拠に基づき、実証的・客観的に審理することを求めてきた。
 しかし、坪井宣幸裁判長は、そのような審理を行なおうとしなかった。
 それゆえに、抗告人は坪井宣幸裁判長を忌避したのである。
 それにたいして、坪井宣幸裁判長と同じ津地裁に勤務する井口礼華裁判長、佐田崇雄裁判官、中井沙代裁判官の3裁判官は、
   「申立人らが主張する忌避申立ての理由は、基本事件における坪井裁判官の訴訟指揮又は審理の方法に対
   する主観的な不満をいうものにすぎない」
と恥じることなく称している。それは、かれらが、法は社会正義を実現する手段であるという根本を理解できないからであろう。
 なぜ、かれらは、それを理解できないのか。
 それは、かれらが裁判官になる過程で、事実を客観的に把握する思想と方法と感性を自己の内部に築くことができなかったからであり、裁判官になってから内発的な正義感を形成できず、市民感覚・民衆感覚を喪失し、特権的な裁判官意識のみを増幅させてきたからだろう。
 すべての社会的諸関係は歴史的に形成されたものである。民事部の裁判官は、民事事件として表現されている社会的諸事実を審理するさいには、可能なかぎり事実を総体的に深く把握しなければならない。
 しかし、井口礼華裁判長、佐田崇雄裁判官、中井沙代裁判官は、坪井宣幸裁判長と同様に、「事件」にたいし決定権を持つ裁判官として、自己を研鑽し社会的諸事実を分析する歴史観・思想・感性を深める努力をすることができず、抗告人の客観的な批判を、「主観的な不満」としか理解できないまま、不当・不法な「決定」をおこなった。
 「主観的な不満」というのは、人権意識、法意識を欠如し社会正義の実現に対立する裁判官の強権的で主観的な妄言である。

(四) 結論
 以上のとおり、原決定は、民事訴訟法24条1項の「裁判の公正を妨げるべき事情」の解釈を誤っているだけでなく、「行政事件訴訟法7条により準用される」という欺瞞的な文言を使用しており、抗告人の客観的な忌避申立理由について「主観的な不満をいうものにすぎない」と強権的で主観的な判断をのべているものであるから、取消されるべきである。
 坪井宣幸裁判長の忌避は理由があるものとして認められるべきである。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「不屈的抗争,风雨索赔19载」 | トップ | 玉民さんが亡くなられました »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

紀州鉱山」カテゴリの最新記事