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三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

「「労働者像」設置場所決める円卓会議メンバー きょう決定=韓国・釜山」

2019年04月25日 | 国民国家日本の侵略犯罪
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20190425002300882?section=news
「聯合ニュース」 2019.04.25 12:58
■「労働者像」設置場所決める円卓会議メンバー きょう決定=韓国・釜山
【釜山聯合ニュース】韓国・釜山市の日本総領事館近くの歩道に置かれていた強制徴用労働者を象徴する「労働者像」の設置場所を決める市民ら100人による円卓会議の推進代表団が24日に会合を開き、25日午後に100人のメンバーを決定することにした。釜山市議会が明らかにした。

【写真】労働者像の設置場所について市民の意見を募集するため、釜山市議会のホームページに掲載されているポスター(同議会提供)=(聯合ニュース)

 円卓会議のメンバーは地方議員22人(市議6人・区議16人)や女性界、大学生、労働者、言論界など各界各層の市民で構成することにした。
 また、24、25の両日、釜山市議会のホームページなどで労働者像の設置場所に関する市民の意見を募集している。
 推進代表団は寄せられた市民の意見に基づき、2~3案に絞り込んで最終議題と決め、円卓会議のメンバーのうち、希望者を対象に26日午後、2回にわたり事前説明会を開く。
 労働者像の設置場所の候補地としては釜山駅広場や日本総領事館近くの公園、国立日帝強制動員歴史館、釜山市民公園などが挙がっている。いずれも日本総領事館から100メートル以上離れており、外交摩擦を避けられる場所となっている。
 設置場所は28日午後2時、円卓会議の討論を経て最終的に決定される。
 労働者像は日本総領事館近くの歩道に置かれていたが、12日に釜山市が強制撤去し、国立日帝強制動員歴史館に移していた。市側と、像を設置した団体側は17日、像を団体側に返還する内容が盛り込まれた合意文書を発表。市は24日に像を返還し、団体は撤去前と同じ場所に再設置した。


https://japanese.joins.com/article/720/252720.html?servcode=A00§code=A10
「中央日報日本語版」 2019年04月24日18時01分
■釜山労働者像、元の位置に…設置場所は28日に決定
釜山市(プサンシ)により強制撤去された「強制徴用労働者像」が市民団体に返還され、釜山・日本領事館近くの釜山市東区草梁洞(トング・チョリャンドン)鄭撥(チョン・バル)将軍の銅像横の歩道に再設置された。

釜山市は12日、鄭撥将軍の銅像横の歩道に置かれていた労働者像を強制撤去し、釜山市南区(ナムグ)の日帝強制動員歴史館に移し保管してきた。

強制撤去後、市民団体の猛烈な抗議を受けた釜山市は24日午後に積弊清算・社会大改革釜山運動本部の強制徴用労働者像建設特別委員会に労働者像を返却した。

28日に釜山市議会大会議室で開催される「強制徴用労働者像建設のための釜山市民100人円卓会議」で設置場所などについて決めることになった。

労働者像は返却されたものの建設特別委はできる限り日本領事館の近くに設置しようとしている半面、市は外交問題などを考慮し強制動員歴史館に設置すべきだという立場を守っているため労働者像をめぐる葛藤は続くものと見られる


https://japanese.joins.com/article/649/252649.html?servcode=A00§code=A10
「中央日報日本語版」 2019年04月23日11時54分
■釜山強制徴用労働者像の設置場所、28日の円卓会議で決定

【写真】釜山市が撤去後、南区大淵洞の国立日帝強制動員歴史館1階ロビーに保管している労働者像。

 釜山(プサン)「強制徴用労働者像」の設置場所が今月28日午後、100人円卓会議で決まる。
 強制徴用労働者像設置のための100人円卓会議推進機構である釜山市議会〔議長・朴仁映(パク・インヨン)〕は、労働者像建立特別委員会(以下、建立特委、キム・ジェハ常任代表)と18日から4回の協議の末、28日午後2時に円卓会議で設置場所を決めることにしたと23日、明らかにした。また、円卓会議の構成原則を決めて、23日までに円卓会議に出席する100人を確定することにした。
 円卓会議に参加する100人は女性団体、労働者、青年、学生、歴史専門家、地方議会議員など各界各層で構成され、地域や活動分野、年齢、階層別に等しく構成する方針だ。ただし、円卓会議開催まで時間が充分でない点を考慮して積極的に参加意思がある人物からまず含めることにした。
 釜山市議会は円卓会議の円滑な進行のために釜山市議会3人、建立特委3人、市民社会団体関係者2人など8人で別途の推進代表団を構成・運営することにした。
 円卓会議で話し合う設置場所は議会ホームページなどで幅広く意見を受け付けた後、推進代表団の話し合いを経てまず2~3カ所に絞ることにした。引き続き、メンバーは設置場所をめぐり25日と26日の2度、事前説明会を開いて100人に十分な情報を提供した後、28日午後2時に組別討論などを行って設置場所を決めることにした。
 現在、設置場所としては、12日に釜山市が撤去したことがある東区草梁洞(チョリャンドン)鄭撥(チョンバル)将軍銅像横のサムジ公園、南区大淵洞(テヨンドン)国立日帝強制動員歴史館、釜山駅広場などが挙がっている。
 盧基燮(ノ・ギソプ)釜山市議会運営委員長は「強制徴用労働者像は辛い歴史を記憶して真実糾明を求める市民の意志が込められた象徴だ」とし「100人円卓会議で討論を経て最大限全員合意で設置場所を決める方針」と話した。
 労働者像建立特委は、当初昨年5月1日と先月1日に東区草梁洞の日本総領事館前に設置した「平和の少女像」の横に労働者像を設置しようとした。だが、釜山市が歩道に設置するのは違法だとして反対すると、先月1日に総領事館境界から50メートル(正門から100メートル)離れた鄭撥将軍銅像近くに臨時設置した。その後、東区庁と建立特委は11日に交渉の末、臨時設置したから10メートル余り離れた鄭撥将軍の横のサムジ公園に労働者像を設置することで合意していた。
 だが、釜山市はこの合意は認められないとし、12日午後に労働者像を撤去して国立日帝強制動員歴史館に移した。労働者像が撤去されたことを受け、建立特委所属の全国民主労働組合総連盟(民主労総)・公務員労組員が15日から17日午前にかけて呉巨敦(オ・ゴドン)釜山市長出勤阻止デモを行い、釜山市庁1階ロビーを不法占拠した。
 釜山市庁ロビー占拠事態は17日に釜山市と釜山市議会、建立特委が釜山市民100人円卓会議を構成してメーデーの5月1日前までに円卓会議が決める場所に労働者像を設置することで合意しながら解消された。


https://jp.yna.co.kr/view/AJP20190422004700882?section=news
「聯合ニュース」 2019.04.22 21:07
■「労働者像」の設置場所 28日に決定=韓国・釜山
【釜山聯合ニュース】韓国・釜山市の行政代執行により強制撤去された強制徴用労働者を象徴する「労働者像」の設置場所が28日に市民らが参加する「100人円卓会議」で最終的に決定される。

強制徴用労働者を象徴する「労働者像」(資料写真)=(聯合ニュース)
 釜山市議会は22日、強制徴用労働者像建立特別委員会と協議し、円卓会議構成のための原則を決め、23日までに会議参加者を確定することで合意したと発表した。
 会議には、像の設置のために貢献した市民をはじめ、労働者、青年、学生、歴史専門家、地方議員、女性団体や市民団体の会員らが参加する。
 市議会関係者によると、会議は28日午後2時に開かれ、像の設置場所に関する最終合意案が導き出される予定だ。
 像は日本総領事館近くの歩道に置かれていたが、12日に釜山市が強制撤去し、「国立日帝強制動員歴史館」に移した。
 市側と、像を設置した団体側は17日、像を団体側に返還する内容が盛り込まれた合意文書を発表。釜山市議会を推進機関とする「強制徴用労働者像建立のための釜山市民100人円卓会議」を設け、メーデーの5月1日前までに会議で決めた場所に像を設置することにした。

「「朴正煕の反国家団体」韓統連の在日同胞21人が韓国に来られない理由とは」

2019年04月25日 | 韓国で
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/33316.html
「The Hankyoreh」 2019-04-24 10:43
■「朴正煕の反国家団体」韓統連の在日同胞21人が韓国に来られない理由とは
 「韓統連の完全な名誉回復と帰国保障のための対策委員会」発足 
 「韓統連のパスポート発給制限に関し、人権委・国会・大統領府に陳情」

【写真】韓統連の完全な名誉回復と帰国保障のための対策委員会の発足記者会見が23日午前、ソウル中区貞洞のフランシスコ会館で開かれた。日本から来た韓統連メンバーのキム・チャンオ氏(右)が盧武鉉大統領在任時代に入国して報道された内容を見せている=キム・ボンギュ先任記者//ハンギョレ新聞社

 1955年に日本の大阪で生まれたキム・チャンオ氏(64)は、12歳だった1967年、トイレで自分の「韓国人」のアイデンティティについて恐怖を感じたその瞬間をいまも忘れられない。当時、地下鉄の駅のトイレには「朝鮮人は帰れ」という落書きがあちこちに書かれていた。日本社会の韓国人に対する差別と虐待を全身で感じた瞬間だった。「落書きを見たとき、本当に怖かった。韓国語もできず、韓国人といえば両親しか知らないのに、恐怖を感じました」
 キム氏はその後、韓国人だという事実を隠して暮らしていた。しかし、大学に入学した1974年、東京にパンダを見に行こうと親しい先輩に誘われ、韓国民主回復統一促進国民会議(韓民統)が主催する集会に出席して考えが変わった。韓国の民主化と統一のために尽くす韓民統の在日韓国人の姿に衝撃と感動を受け、団体に加入することになった。キム氏はその後、韓国人だという事実を隠さなかった。韓民統で毎週水曜日に韓国語を学び、毎週金曜日に韓国史を学んだ。初めて残酷な日本の植民地支配について知り、独立運動の歴史を学んだ。特に1960年4・19革命を率いた学生の話を学び、キム氏は韓国の民主化と祖国統一のために一生生きていこうと誓ったという。
 1973年に結成された韓民統に暗雲が立ち込めたのは、朴正煕(パク・チョンヒ)政権の公安統治のためだ。1977年、韓民統が「在日同胞留学生スパイ団事件」当時、スパイ容疑で有罪宣告を受けたキム・ジョンサ氏の背後団体として指摘され、国家保安法上「反国家団体」に指定された。朴正煕政権は150人余りの在日同胞留学生をスパイに仕立て、拷問、死刑、無期懲役刑などを宣告し、刑務所に入れた。全斗煥(チョン・ドゥファン)政権の時も暗黒期は続いた。1980年、金大中(キム・デジュン)元大統領は韓民統議長の経歴を理由に反国家団体首魁罪の適用を受け、死刑を言い渡された。スパイにされたキム・ジョンサ氏は2013年5月になって、最高裁判所(大法院)の再審を通じて無罪を宣告された。しかし、韓民統の後身である在日韓国民主統一連合(韓統連)は依然として反国家団体のレッテルをはられたままだ。
 このため韓国政府は、2003年までキム氏が韓統連に加入したという理由でパスポートを発給しなかった。キム氏は1992年、統一運動のためにドイツ・ベルリンへ出張に行った当時、フランクフルト空港でドイツの警官にパスポートがないという理由で連行され、取り調べを受けなければならなかった。日本で発給された「再入国許可証」では、キム氏の保護するのに限界があった。
 2003年に盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府が発足してから、キム氏は韓国のパスポートを発給され故国の地を踏むことができた。いつになるか分からなかった「ソウルで会おう」という約束が、ついに現実になった瞬間だった。日本から韓国へ出発する日の朝、キム氏は日本で経験した侮辱と差別、これまで故国に行けなかった悲しさが一気にこみ上げ、止めどなく泣いた。そのようにして48年の生涯で初めて仁川国際空港に入国したキム氏の手には、大韓民国の「臨時パスポート」が握られていた。キム氏は翌年の2004年になって正式に大韓民国のパスポートを手にすることができた。
 幸いキム氏は2004年に韓国の正式なパスポートを発給されてから、韓国だけでなく外国の往来に不自由はない。しかし、キム氏は非常に例外的なケースだ。いまだに多くの韓統連メンバーが日本に留められ、韓国に来ることができない状態だ。韓統連メンバーのうち21人は、1~5年の短い有効期間のパスポートしか発給を受けることができず、有効期間が終わるごとに更新しなければならない困難を負っている。

【写真】韓統連の完全な名誉回復と帰国保障のための対策委員会の発足記者会見が23日午前、ソウル中区貞洞のフランシスコ会館で開かれた。チェ・ビョンモ対策委員長(中央)が挨拶の言葉を述べている=キム・ボンギュ先任記者//ハンギョレ新聞社

 23日、ソウル中区貞洞(チョンドン)のフランシスコ会館で開かれた「韓統連の完全な名誉回復と帰国保障のための対策委員会」(対策委)の発足式にキム氏だけが参加することができたのはそのような理由からだ。
 この日、6・15(共同宣言実践)南側委員会のイ・チャンボク常任代表と「海外民主人士の名誉回復と帰国保障のための汎国民対策委員会」のチェ・ビョンモ元常任代表など29人は、まだ韓統連が反国家団体と規定されており、同団体のメンバーという理由でパスポートが発給されない在日韓国人の名誉回復と帰国保障に向けて対策委員会を立ち上げたと明らかにした。チェ・ビョンモ対策委代表は「韓統連が現在受けている弾圧は、日本で韓国の独裁政権に反して民主化運動をしたというたった一点のためだ」とし、「韓統連メンバーはすべて自由な韓国人であるため、韓国に出入りすることを妨げる理由はない」と強調した。イム・ジョンイン対策委執行委員長は「パスポートは事実上住民登録証と同じ」と言い、「たとえ険悪な犯罪を犯しても住民登録証は出される」と指摘した。
 発足式の現場で出た説明を総合すると、韓統連のメンバーのキム氏のある先輩は、パスポートを適時に発給してもらえず、母親の臨終に立ちあえなかった。ソン・ヒョングン韓統連議長は、文在寅(ムン・ジェイン)政権に入ってパスポートを申請したが、パスポートの発給が見送られ、いまだに韓国に来ることができない状況だと明らかにした。日本に留められている韓統連メンバーらは、再入国許可証を持って日本から出た後、再入国が可能だが、米国や英国などに長期間国外研修や留学に行くのは不可能だ。キム氏が15年前にようやく克服した苦痛を、韓統連メンバーのうち一部は今も耐えながら暮らしている。対策委はこれに対し、「韓統連のメンバーにパスポートを発給しない政府に対し、近く国家人権委員会と国会、大統領府などに陳情を出す予定」だと明らかにした。

クォン・ジダム記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/891190.html
韓国語原文入力:2019-04-23 20:43