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三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

「朝鮮村」1998年6月~2012年11月 26

2013年01月19日 | 「朝鮮報国隊」
■紀州鉱山の真実を明らかにする会による「朝鮮村試掘」までの道程 17
 2004年7月21日から8月15日まで大阪人権博物館(リバティ大阪)で開催されることになっていた展示会『海南島で日本はなにをしたのか 侵略・虐殺・掠奪・性奴隷化』(大阪人権博物館主催・紀州鉱山の真実を明らかにする会後援)が、開会50日前の5月30日に突然一方的に延期されてから1年あまり後、2005年9月17日から12月14日まで、京都市右京区京北下中の丹波マンガン記念館で、特別展『日本は海南島でなにをしたのか』(主催:丹波マンガン記念館、後援:京都市、協力:紀州鉱山の真実を明らかにする会)が開催された。
その趣旨は、つぎのようであった。
    「海南島は、ベトナムの東、アジア太平洋地域の中心部に位置する、九州や台湾と同
    じぐらいの面積の島です。
     日本は、この島を1939年から45年まで占領していました。海南島住民による、武器
    を手にした抵抗が続くなか、日本軍は各地の村を襲い、多くの人を殺しました。日本
    軍による性暴力の被害を受けた女性も多くいます。
     日本は、海南島を東南アジア、太平洋地域侵略のための基地とし、さらには植民地
    とするために、各地に軍事施設を建設し、鉄鉱石などの資源を奪いました。
     占領の直後から日本軍とともに活動をはじめた、日本の民間会社も多くありまし
    た。危険でつらい労働をさせられたのは、だまされたり、無理やり連れてこられたり
    した、海南島や中国大陸の住民、植民地だった朝鮮や台湾などの人でした。病気、飢
    え、事故などで多くの労働者が死んだり、殺されたりしたといわれています。
     今年はアジア太平洋戦争が終わって60年の節目の年にあたります。
     この特別展では、日本が海南島でおこなった過去の行為、そして、被害者が放置さ
    れ、加害の責任も果たされていないという現在の状況を紹介します。これらのことを
    通して、日本が戦争のなかで何をおこなったのか、現在何が問われているのかを考え
    ようとするものです。

 展示の内容は、つぎのようであり、これは、大阪人権博物館で予定されていたものと、ほぼ同じであった。
    海南島近現代史
    軍事侵略、抗日闘争
    経済侵略:土地と資源の略奪・労働強制
    「朝鮮村」虐殺
    海南島における日本軍隊性奴隷制
    旧日本軍兵士の証言
    侵略犯罪に時効はない!

 会期中の毎週土曜日に、ドキュメンタリー『日本が占領した海南島で 60年まえは昨日のこと』(紀州鉱山の真実を明らかにする会制作)が上映され、9月25日に、紀州鉱山の真実を明らかにする会の佐藤正人が、「日本が海南島を占領した6年半。 それを“調査”した6年半。 そして、これから」を主題として報告をした。
                                        佐藤正人