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三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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『台湾日日新報』における海南島記事 1

2011年02月07日 | 海南島史研究
■はじめに
 『台湾日日新報』は、日本の台湾統治下で総督府の植民地統治政策の遂行にとって重要な役割を果たしたメディアである。
 1895年4月17日、「日清講和条約」が締結され、日本は清国から台湾を「割譲され」た。その3年後の1898年5月6日に『台湾新報』(薩摩派)と『台湾日報』(長州派)という二つの日系新聞が合併して『台湾日日新報』が創刊される。
 この新聞は守屋善兵衛という民間人が創設した民営の新聞であったが、台湾総督府から毎年公的補助を受け、事実上総督府の官報として日本による台湾統治において重要なイデオロギー的機能を果たした。
本 紙は台湾のみならず中国南部あるいは太平洋諸島にいたるまで読者を増やして、最盛期には5万部まで発行部数を伸ばす。それは1944年4月1日に『台湾新報』と合併するまで続く。
 ここではこの『台湾日日新報』が扱っている海南島関連の記事を紹介し検討することによって、日本による台湾および海南島の統治政策の構造を探り当てるための一助にしたい。

■1 「物資配給機構の確立」
 『台湾日日新報』1942年10月31日号に海南島海軍特務部発表の「物資配給機構確立」という4段の記事が掲載されている。海南島三省連絡会議が海南島における物資配給を海南海軍特務部によって一元的に管理するために物資配給機構を設立したことが報じられる。
 記事では、海南海軍特務部がこれまで「大東亜経済建設の国家目的」に沿って「本島民衆に対する物資の配給」を円滑にすすめてきたこと、それは「治安確立民生向上」に大いに役立ったことが強調される。また首都の海口に海口配給公社を設立し、それ以外の地区については海口配給公社の配給要領を適用して配給を実施し、将来的には各地区にその地区ごとの配給公社を設立していくことが予定されている、と記している。そして海口配給公社の理事長として、海南公益公社理事長の村山が任命されたと報じている。
 記事はさらに物資配給機構の要綱を紹介している。その目的は「各般の経済活動の計画的運営」にあり、「適正かつ円滑なる物資の配給を期す」ためである、としている。
 監視の対象とされる物資は、(イ)「海南公益公社の移入したる物資」(ロ)「島内において邦人の生産したる物資」(ハ)「特に命じて蒐荷地たる中国人生産物資及び移入物資」である。
 管理物資の配給機関は特務部が指定し、配給は特務部が指示する。また管理物資の配給は「軍票買」とする、と報じている。
                                    斉藤日出治