三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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万人義塚

2010年11月26日 | 個人史・地域史・世界史
 金相律さんの住む慶尚北道亀尾市北部の村から金成文さんの住む全羅南道谷城郡梧谷面に行くには、金相律さんの村から善山に出て大邱、大邱から南原、南原から谷城、谷城から梧谷への道が最短です。
 11月24日に金相律さんに話を聞かせてもらったあとすぐ梧谷に向かいましたが南原に着いたら午後9時でした。
 25日朝8時35分発のバスで南原から谷城に着き、前日に約束した時間に梧谷の金成文さんを訪ねました。
 わたしたちは、聞かせてほしいことがたくさんあるのですが、たいていは、2時間ほどで聞きとりを終わることにしています。80歳を過ぎたかたに、60年以上前のことを話してもらうので、特に封じ込めておきたい記憶を話してもらうようなときには、負担をかけてはいけないと考えているからです。
 25日には、金成文さんに朝10時から12時まで話を聞かせてもらいました。
 そのあと、南原にもどりました。
 南原は、甲午農民革命の場であり、抗日義兵戦争の場でした。
 南原で、1597年に1万人あまりの人びと(軍人と住民)が、日本軍によって殺されたといいます。その人たちを追悼する「万人義塚」が1612年につくられました。
 1964年に「万人義塚」は、南原城外の位置に移されました。
 その「万人義塚」を、25日午後、訪ねました。
 「万人義塚」の広い敷地に高さ16メートルほどの石造の「万人義士殉義塔」が建っていました。 
                               佐藤正人
                                
 
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