「The Hankyoreh」 2023-09-06 10:11
■韓国国防部の公文書、悲惨なレベル…「洪範図撤去」の主張、3つの間違い
[ハンギョレ21]特別寄稿 イム・ギョンソク|成均館大史学科教授
(1)自由市惨事に関する疑惑は事実無根
(2)「パルチザン」の意味は1919~1922年の「独立軍」と指摘
(3)日帝時代、ソ連は米国と同じく独立運動の友軍
【写真】78年ぶりに故国の地に戻った独立活動家の洪範図将軍の遺体が2021年8月15日午後、国立大田顕忠院に臨時安置されている/聯合ニュース
2023年8月25日、陸軍士官学校は報道機関に声明文を配布した。それには信じ難い内容が含まれていた。校内に設置された「独立軍・光復軍英雄胸像」をすべて撤去し、別の場所に移すという内容だった。
一度読んでみよう。「学生が学習する建物の中央玄関の前に、2018年に設置された独立軍・光復軍英雄胸像は、場所の適切性、国難克服の歴史が特定の時期に限定される問題などについての論議が続いていた」とする。そこで、これらの胸像を撤去し、学校外のどこかに移転するという話だった。
◆独立活動家に向けられた突然の攻撃
胸像の主人公は、抗日武装闘争の指導者だった。大韓独立軍総司令官の洪範図(ホン・ボムド)、北路軍政署の総司令官の金佐鎮(キム・ジャジン)、新興武官学校の設立者の李会栄(イ・フェヨン)、光復軍総司令官の池青天(チ・チョンチョン)、光復軍参謀長の李範奭(イ・ボムソク)の5人だ。武装独立運動を代表するのに不足しない人物たちだ。解放された祖国の軍事将校を養成する士官学校で目標にすべき人物だちだ。
その胸像をなくす代わりに、どうするというのか。声明文によれば「陸軍士官学校の校内には、学校のアイデンティティと設立の趣旨を実現し、自由民主主義の守護および韓米同盟の価値と意義を体感できる最適な環境を作ることに重点を置き、記念物の再整備事業を推進」するという。「自由民主主義」と「韓米同盟」が陸軍士官学校のアイデンティティを表象する言葉とみなされているようだ。それにふさわしい人物に置き換えるという意味だった。
マスコミ報道によれば、新たに胸像の設置が検討されている人物は、ペク・ソンヨプ将軍だ。ペク・ソンヨプとは誰か。2009年、大統領直属の親日反民族行為真相糾明委員会が、親日の反民族行為者と規定した人物ではないか。彼は「1942年に満州国軍の少尉に任官してから1945年の日帝の敗戦に至るまで、満州国軍将校として日本の侵略戦争に積極協力」した人物だ。
【写真】8月29日午後、大田儒城区の国立大田顕忠院の独立有功者の第3墓地を訪れた大田市民が、洪範図将軍の墓地を調べている/聯合ニュース
「1943年2月から満州地域の抗日武装独立勢力を武力で弾圧した間島特設隊で、これらに対する弾圧活動を展開し、また、1944年から1945年にかけて、間島特設隊員として、日本軍の作戦の一環で中国軍の八路軍を討伐する作戦に従事し、1945年春から日帝の敗戦時まで、延吉(ヨンギル)地域の国境守備任務に従事」したと指摘され、注目を集めた。
要するに、陸軍士官学校の声明文は、独立軍の胸像をなくし、その代わりに親日反民族行為者の胸像を建てるという話に違いはない。この方針は、単に陸軍士官学校のレべルで決定されたものではなかった。同日、イ・ジョンソプ国防部長官は、国会の国防委員会で行った発言を通じて、陸軍士官学校の校内の記念物整備計画があることを認めた。独立軍・光復軍の胸像を陸軍士官学校の校内から撤去して外部に移すという方針が、尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権のレべルで推進されていることを確認したものだった。
世論が沸騰し始めた。まず、社会団体が動いた。独立活動家記念事業団体が連合して反対声明を発表し、記者会見を行った。独立有功者とその遺族を構成員とする光復会も出てきた。光復会のイ・ジョンチャン会長は、胸像の主人公である李会栄の孫であり、陸軍士官学校16期(1956年入学)出身で、民主正義党の国会議員、国家情報院長を歴任した保守派の政治家だ。彼は激しく反発した。イ・ジョンソプ国防部長官に辞任を要求する公開書簡を発表した。
野党も立ち上がった。野党「共に民主党」のイ・ジェミョン代表は、国立大田顕忠院に安置されている洪範図の墓地を参拝し、「独立戦争の英雄を斬殺することは、決して容認できない」と発言した。パク・グァンオン院内代表も、党内最高委員会の会議の席上で、独立運動の誇らしい歴史を消そうとする反歴史的・反民族的な暴挙を取り消すよう要求した。
さらに与党からも批判の声が出てきた。与党「国民の力」で非主流の人物たちがそれぞれ発言した。大統領選で党内選挙候補者だったユ・スンミン元議員、ホン・ジュンピョ大邱(テグ)市長、イ・ジュンソク前代表らが、フェイスブックなどを通して胸像撤去計画を非難した。
普段は政権側の論調を維持している一部のメディアも背を向けた。朝鮮日報は8月28日付の社説で「北朝鮮と何の関連もなく、反国家的活動をしたわけでもない洪将軍の共産党加入の経歴だけを問題にするのは、理念的かつ偏狭だとする指摘が出ている」と批判した。中央日報も、ソ連共産党に入党したという理由で銅像を移すことは納得しがたいとして、独立活動家5人の胸像移転に反対の立場を明らかにした。文化日報に続き毎日経済も、洪範図の胸像移転は常識外のことであり、逆風が吹くだろうと懸念した。
結局、胸像撤去計画は反対の世論に包囲されたわけだ。この計画を推進した政権内のニューライト原理主義者らが孤立した局面だとも言える。彼らは窮地に陥った。
【写真】8月28日、ソウル龍山区の国防部で定例会見を行うチョン・ハギュ国防部報道官/聯合ニュース
8月28日、国防部はふたたび声明文を出した。「陸軍士官学校の洪範図将軍の胸像に関する国防部の立場」と題する文章だった。前回の声明文を出してから、わずか3日後のことだった。沸き立つ世論に負担を感じたのだろうか。国防部はすみやかに局面転換を試みた。独立活動家5人全員ではなく、そのうちの1人をつまみ出した。それが、洪範図将軍だ。
声明文を読んでみよう。「ソ連共産党への加入や活動履歴などの論議がある洪範図将軍の胸像が陸軍士官学校に、しかも、士官候補生の教育の象徴的な建物である忠武館の中央玄関にあることは適切ではない」と判断した。
国防部はその判断の根拠を具体的に指摘した。(1)1921年6月、ロシア共産党極東共和国の軍隊がスヴォボードヌイ(自由市)にいた独立軍を抹殺した自由市惨事に関係したという疑惑、(2)パルチザンの活動期間が1919~1922年と記載された洪範図の身分証明書から推定し、鳳梧洞・青山里(ポンオドン・チョンサンリ)戦闘にもパルチザンとして参加したという疑惑、(3)1927年にソ連共産党に入党した事実などがそれだ。要するに「1921年にロシアのヴォボードヌイに移動してから示した行跡」は、独立運動の業績ではないとみなしたのだ。
◆これが政府機関の公的文書だと言えるのか
目を疑わざるをえない。はたしてこれが政府機関の公的文書なのか。虚偽と無知、そして、歴史に対する無理解が判断の前提にあることがわかる。一つ目の疑惑は、全面的に虚偽の所産だ。自由市惨事に関する歴史学界の研究は、ロシア語資料と日本側の情報資料、独立軍当事者の資料を縦横に比較分析したパン・ビョンリュル教授、イム・ギョンソク教授、ユン・サンウォン教授らの著書や博士学位論文などが代表だ。
それによると、自由市惨事の基本性格は、独立軍部隊の大統合の方法をめぐる内紛だった。死亡者が生じた武装解除の決定の責任は、高麗革命軍の指揮部(カランダリシュヴィリ、崔高麗(チェ・コリョ)、金夏錫(キム・ハソク)、呉夏黙(オ・ハムク))にあった。洪範図は流血の内紛が生じることを懸念し、武装解除の決定に反対する立場だったことが資料上では明確だ。国防部が提起した一つ目の疑惑は、全く事実の根拠がない。
二つ目の疑惑は、全面的に無知の所産だ。パルチザンという単語は、ロシア語のパルチザン(Партизан)から来た外来語で、非正規戦に従事する武装部隊を示す。非正規軍という意味だ。1919~1922年にはこの用語は、「独立軍」や「義兵」を指し示す意味で用いられた。「パルチザン」という単語を「共産主義武装部隊」として用いる用例は、解放(日本敗戦後)後に初めて現れたことを留意しなければならない。
三つ目の疑惑は、歴史に対する無理解のために生じた誤解だ。日帝植民地時代には、ソ連共産党は韓国独立運動の友軍だった。レーニン政権は、朝鮮独立運動を支援するために、金貨200万ルーブルを提供することを約束したし、そのうち金貨60万ルーブルが実際に支払われたことを思い出そう。独立活動家の多くが、ソ連との提携を多角的に模索した。大韓民国臨時政府は、全権大使の韓馨権(ハン・ヒョングォン)をモスクワに派遣した。李承晩(イ・スンマン)でさえ、ソ連の独立運動支援を得るために李喜儆(イ・ヒギョン)を密使としてモスクワに派遣した。
【写真】国防部が陸軍士官学校の校内だけでなく、国防部庁舎前に設置された故・洪範図将軍の胸像についても、必要に応じて移転を検討していると明らかにした8月28日、ソウル龍山区の国防部庁舎の前に設置された故・洪範図将軍の胸像の様子/聯合ニュース
国際共産党が招集した1921年の極東民族大会に、韓国独立運動系の団体多数が52人に達する最大規模の代表団を派遣したのもそのためだった。1927年にソ連に移住した洪範図がソ連共産党に入党したのは、韓国独立運動の発展のために極めて自然で望ましいことだった。第2次世界大戦時も、ソ連と米国は日本と相対して戦った連合国だった。1946年に冷戦が始まるまで、ソ連と共産党は、米国がそうであったように、韓国独立運動の友軍であったことを理解しなければならない。
ソ連に対する敵対意識は冷戦が激化した後に生じた。歴史的な流れを考慮しなければならない。後代の評価基準を自分勝手に遡及し、過去の歴史的事案を判定する基準として乱用することは、歴史に対する無理解を示す行為だ。物心のつかない子どもの非常識と違いはない。
◆反日感情を反共主義で防ぎたいのか
国防部と陸軍士官学校は変則を企てている。陸軍士官学校は撤去予定だった5つの胸像のうち、洪範図将軍の胸像だけを学校外に持ちだすと発表した。金佐鎮将軍・池青天将軍・李範奭将軍と新興武官学校の設立者の李会栄氏の胸像はそのまま残すという話だ。当初は胸像5つをすべて撤去しようとしたが、批判の世論が激しいため、変則を企てているわけだ。独立運動を軽視しているという批判を薄め、事案を反共主義のイデオロギー問題に変化させ、局面の主導権を握ろうとする意図が隠れていると解釈される。
いったいなぜ、こうしたことを行うのだろうか。尹錫悦政権は、何のために陸軍士官学校内からの独立活動家の胸像撤去問題を提起したのだろうか。視野をもう少し広げてみよう。胸像の撤去が問題化する前は、日本の核汚染水の排出と尹錫悦政権のほう助の態度に、国民的な公憤が醸成された。その直前には、世界スカウトジャンボリーの運営不備問題、忠清北道清州五松(チョンジュ・オソン)での地下車道浸水事故、ソウル~楊坪(ヤンピョン)高速道路の路線変更問題などが相次いで提起された。
いずれもすべて、現政権の無能力と貪欲に関連した問題だった。そのため、政治工学的な解釈が提起される。胸像撤去問題を提起した理由は、核汚染水の放出によって触発された激しい反日感情を反共主義で防ごうとしたという解釈だ。新しい問題で古い問題を覆い隠す策略が隠れているという意味だ。
視野を国際関係に移してみよう。洪範図胸像撤去問題は、韓米日同盟と内的関連性があることが推察できる。2023年8月18日、米国メリーランド州のキャンプデービッドで開かれた韓米日首脳会談は、韓国と日本が、安全保障の危機の際、相互に軍事的に支援しなければならない根拠を作りだした。洪範図胸像撤去問題は、まさにキャンプデービッドの「3カ国協議に対する公約」の趣旨と関連している。有事の際には、日本軍が再び朝鮮半島に出没するだろう。それに対する韓国人の抵抗心理を、事前に弱めておく必要があるのではないだろうか。独立活動家の洪範図の胸像を持ち去り、そこに親日反民族行為者のペク・ソンヨプの胸像を建てる理由が、まさにそこにあるだろう。2つの解釈は、ともにそれなりの理があると判断される。もしかしたら、2つとも正しいこともありうる。
◆洪範図の独立運動は終わらなかった
尹錫悦大統領は8月29日、閣僚会議の席上で洪範図胸像撤去問題について発言した。「何が正しくて誤っているのか、一度考えてみよ」としたうえで、「誰かがしなければならないのであれば、私がする」と語ったと報じられた。国防部の措置は適切だとする意向を示したものと分析される。
それだけなのか。国家報勲部が洪範図の独立有功者叙勲を剥奪する案を検討しているという報道が出てきた。近い将来、叙勲功績審査委員会を開き、「重複叙勲」などの問題が発見された場合、叙勲剥奪を含むあらゆる可能な措置を念頭に置いているという。
今後、波風はさらに激しくなりそうだ。洪範図はたとえ地中で永眠していても、彼が一生献身した独立運動はまだ終わっていないようだ。洪範図将軍の独立運動は今も続いている。
◆参考文献
パン・ビョンニュル『1920年代前半の満州・ロシア地域抗日武装闘争』独立記念館、2009年
イム・ギョンソク『韓国社会主義の起源』歴史批評社、2003年
ユン・サンウォン『ロシア地域の韓人の抗日武装闘争研究(1918-1922)』高麗大学博士学位論文、2010年
イム・ギョンソク|成均館大史学科教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2023-09-05 22:20
「The Hankyoreh」 2023-09-04 08:05
■「洪範図排除」めぐり首相と国防部が異なる立場表明…乱脈ぶり露呈した韓国政府
【写真】ソウル龍山区の国防部前にある洪範図将軍の胸像/聯合ニュース
韓国の陸軍士官学校における洪範図(ホン・ボムド)将軍胸像の移転推進で浮き彫りになった尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権の「洪範図排除」に、野党と学界などの反発が続いている。こうした中、「洪範図排除」を巡り首相と国防部が互いに異なる立場を表明する一方、同じ独立戦争の英雄である洪将軍の胸像なのに、陸軍士官学校からは撤去し、国防部庁舎には存置することにするなど、矛盾が露呈している。名目と論理に欠けた尹錫悦政権の無理な「歴史・理念戦争」を現場で遂行する過程で、乱脈ぶりが際立っている。
韓国政府の一貫性のない動きは、まず朴槿恵(パク・クネ)政権時代に進水した海軍の1800トン級潜水艦「洪範図」の改名問題をめぐり露呈した。ハン・ドクス首相は先月31日、国会予算決算特別委員会全体会議で、野党「共に民主党」のキ・ドンミン議員が潜水艦「洪範図」の艦名変更について尋ねると、「我々の主敵と戦わなければならない軍艦を象徴する名前が(ソ連の)共産党員だった人のものなのは適切ではないと思う」とし、「修正を検討すべきだ」と述べた。しかし翌日の1日、国防部関係者は記者団に「首相が議員の質疑に答弁したものだが、その必要性について語ったと思う」とし、「海軍で艦名の変更は検討していないと聞いている」と答えた。歴史・理念の議論にさらに油を注ぐ「洪範図」の改名問題を巡り、政府内で調整されていない立場の衝突が公になり、混乱を招いている。
世界的に、国が滅んだか独裁の統治者が勝手に変えた場合を除き、軍艦の名前が変更されることはほとんどない。韓国では1999年「裡里(イリ)」を「益山(イクサン)」に変えるなど地方自治体の名称変更に伴う艦名の変更があったケースのみ。
陸軍士官学校の校庭内の忠武館(総合講義棟)前の独立英雄5体の胸像のうち、洪範図将軍の胸像は校外に移し、池青天(チ・チョンチョン)、李範奭(イ・ボムソク)、金佐鎮(キム・ジャジン)将軍と李会栄(イ・フェヨン)先生など残りの胸像は校庭内の他の場所に移すという決定についても、「小細工」という批判の声があがっている。当初、独立英雄5人の胸像を外部に移そうとしたが、反発が激しくなると、洪将軍だけをソ連共産党の経歴を問題視して撤去することにしたのだ。さらに国防部は、洪将軍の胸像を陸軍士官学校から撤去する一方、ソウル龍山区(ヨンサング)の国防部庁舎前の洪将軍の胸像はそのままにしておく方向に傾いているという。先月28日、「陸軍士官学校の洪範図将軍胸像に関する国防部の立場」で、洪将軍のソ連共産党活動経歴▽スヴォボードヌイ(自由市)惨事への関連疑惑▽鳳梧洞(ポンオドン)戦闘にパルチザンとして参加したという疑惑を挙げ、洪将軍の胸像が陸軍士官学校に不適切だと説明したのに、国防部庁舎前の胸像は存置するというのは矛盾と言わざるを得ない。
独立軍歴史研究の権威者であるパン・ビョンリュル韓国外国語大学名誉教授(史学科)は3日、ハンギョレとの電話インタビューで「正常な議論過程も経ずに少数の人々が密室で決定したため、このような乱脈ぶりが露呈している」と指摘した。パン教授は「国軍が作られた時と比べいくつもの世代が過ぎ、国家構成員の価値観と基準も大きく変わった」とし、「なのに軍はこれを無視して1970年以前に戻そうとしている」と述べた。
文在寅(ムン・ジェイン)前大統領も先月27日に続き、同日にもフェイスブックを通じて、「胸像の撤去は歴史を歪曲し国軍と陸軍士官学校の正統性とアイデンティティを自ら損ねる処置」だとし、大統領室に胸像撤去計画の撤回を求めた。文前大統領は「我々は(洪将軍の)その愛国心と献身の足元にも及ばない」とし、「陸軍士官学校レベルで議論されたことだとしても、ここまで波紋が広がったら、大統領室が乗り出して収拾を図るのが望ましいだろう」と指摘した。野党「共に民主党」のカン・ソヌ報道担当も同日のブリーフィングで、「時代遅れの理念戦争論にはまった尹錫悦大統領の言動が日増しに深刻化している。『反共マッカーシズム』ではなく、『親尹マッカーシズム』の絶頂」だと批判した。
シン・ヒョンチョル記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2023-09-04 02:44
「The Hankyoreh」 2023-08-30 03:17
■「歴史を忘れた陸軍士官学校に未来はない」=韓国
独立運動家の子孫と市民、陸軍士官学校前で会見
「庚戌国恥に準ずる侮辱…洪範図将軍胸像の撤去を中止せよ」
【写真】国防部が陸軍士官学校の校内だけでなく、国防部庁舎前に設置された故洪範図将軍の胸像についても、必要に応じて移転を検討していると発表した28日、ソウル龍山区の国防部庁舎前に設置された故洪範図将軍の胸像/聯合ニュース
韓国政府が陸軍士官学校内部と国防部庁舎前に設置された独立戦争の英雄、洪範図(ホン・ボムド)将軍(1868~1943)の胸像を撤去する方針を明らかにした中、独立運動団体が「庚戌国恥(韓国併合ニ関スル条約が結ばれた日)に準ずる侮辱的なこと」だとし、撤去方針の撤回を求めた。
25の独立運動家記念事業会などで構成された抗日独立烈士団体連合は29日、ソウル蘆原区孔陵洞(コンルンドン)の陸士前で記者会見を開き、陸士に設置された洪将軍の胸像の撤去中止を要求した。
彼らは「胸像を撤去するという国防部は民族共同体の歴史を否定し、軍固有の精神を守るという国民との約束を破ること」だとし、「国家と民族と歴史に対する反逆行為を行ってはならない」と主張した。
日帝に国を奪われた庚戌国恥日でもある同日の記者会見には、大雨にもかかわらず義烈団の金翰(キム・ハン)先生の子孫である「共に民主党」のウ・ウォンシク議員など、独立運動家の子孫と市民100人余り(主催側推算)が集まった。
【写真】ソウル蘆原区の陸軍士官学校正門の入り口で29日午後、陸軍士官学校における独立運動家の胸像撤去を糾弾する記者会見が開かれている=キム・ヘユン記者//ハンギョレ新聞社
雲巌金星淑(キム・ソンスク)先生記念事業会のミン・ソンジン会長、無後光復軍記念事業会のチェ・スチャン会長、云山将軍記念事業会のチェ・ソンジュ理事は記者会見文を朗読し、胸像の撤去が「理念対立を助長する行為に過ぎない」と批判した。
彼らは「2018年、洪将軍など独立運動家5人の胸像除幕式は軍部独裁と光州(クァンジュ)5・18民主抗争と関連した否定的で誤った歴史と決別し、国民の軍隊として国家を防衛し自由民主主義を守護し祖国の統一に寄与するという軍本来の精神を確認する時間だった」とし、「南北分断を悪用し理念対立を助長しようとする見え透いた術策で独立抗争先烈たちを侮辱する行為がこれ以上繰り返されないよう願う」と述べた。
【写真】ソウル蘆原区の陸軍士官学校正門の入り口で29日午後、陸軍士官学校独立運動家の胸像撤去を糾弾する記者会見が開かれている=キム・ヘユン記者//ハンギョレ新聞社
彼らは、今回の国防部の決定が光復節記念演説などで独立抗争を否定した尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領の無責任な言動から始まったと主張した。出席者たちは「78周年光復節記念演説などで政府は独立抗争、民主化闘争、南北の平和と一致に向けた献身を否定し、ひいては反国家的行為と規定して非難した」とし、「国防部の憲法精神と理念を破壊する没知覚な行為は国政最高責任者の無責任な言動から始まったもの」だと指摘した。
ウ・ウォンシク議員は「歴史学界で検証が終わった独立運動家に理念の物差しを突きつけて歪曲し、分裂を引き起こすマッカーシズム的な策動を必ず打ち破る」と述べた。
【写真】ソウル蘆原区の陸軍士官学校正門の入り口で29日午後、陸軍士官学校独立運動家の胸像撤去を糾弾する記者会見が開かれている=キム・ヘユン記者//ハンギョレ新聞社
記者会見には撤去に反対の声をあげるために自発的に参加した市民もいた。郷友会を通じて記者会見のニュースを聞いて駆け付けたという主婦のCさん(62)は、「独立闘士の精神を見習うべき陸軍士官学校から胸像が撤去されるのは理解に苦しむ。暮らしは日増しに厳しくなっていくのに、なぜこのような消耗的なことをするのか分からない」とし、「ことあるごとに人のせいにし、国民の気持ちは眼中にない尹大統領の考えが反映されたものだと思う」と語った。
コ・ビョンチャン記者、カン・シンボム教育研修生(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2023-08-30 02:42
「The Hankyoreh」 2023-08-29 08:24
■尹政権、韓国独立の英雄・洪範図を消す…日本との戦闘についても「反共」攻撃
国防部、陸軍士官学校からの胸像移転に対する批判に
「パルチザンとして戦闘参加の疑惑」
【写真】国防部は28日、陸軍士官学校の構内だけでなく国防部庁舎前に設置されている洪範図将軍の胸像についても必要に応じて移転を検討していると明らかにした。ソウル龍山区の国防部庁舎の前に設置された洪範図将軍の胸像の様子/聯合ニュース
国防部は28日、「ソ連共産党への加入および活動履歴などの論議がある洪範図(ホン・ボムド)将軍の胸像が陸軍士官学校にあるのは適切ではない」という判断の根拠として、洪将軍のソ連共産党での活動を具体的に説明し、洪将軍が1920年に鳳梧洞・青山里(ポンオドン・チョンサンリ)戦闘にもパルチザンとして参加したという疑惑があると主張した。1920年6月、洪将軍が満州の鳳梧洞の谷間で独立闘争初の全面戦争を行い、武装独立運動史における不朽の勝利をおさめた歴史的業績についても、独立闘争でなく共産党活動の一環である可能性があるという「反共攻撃」を展開したのだ。
国防部は同日夜に発表した「陸軍士官学校の洪範図将軍の胸像に関する国防部の立場」を通じて、「洪範図将軍の独立運動の業績は業績として評価するが、今後はソ連共産党の活動に同調した事実については分けて評価するのが適切だ」と主張した。「国防」に関連した場所では、「反共」を基準としてソ連共産党員だった洪将軍の胸像は容認しがたいというわけだ。
国防部は「特に洪将軍のパルチザン証明書には活動期間は1919~1922年と記録され、1920年6月の鳳梧洞戦闘と1920年10月の青山里戦闘にもパルチザンとして参加したという疑惑もある」と主張した。
国防部は、洪範図将軍が自由市惨変にも関係しているという疑惑も提起した。自由市惨変は、1921年6月にシベリアのスヴォボードヌイ(自由市)で武装解除を拒否した独立軍がソ連赤軍に攻撃され、400~600人ほどが死亡した事件だ。国防部は、洪将軍がソ連共産党による自由市惨変の際、独立軍500人を裁く裁判委員として活動し、自由市惨変の発生後はイルクーツクに移動してソ連赤軍第5軍団所属の「朝鮮旅団」第1大隊長に任命されるなどの歴史的事実があると主張した。
また国防部はこの日、陸軍士官学校の構内だけでなく、ソウル龍山(ヨンサン)にある国防部庁舎前に設置された洪範図将軍の胸像についても、必要に応じて移転を検討すると明らかにした。陸軍士官学校も、金佐鎮(キム・ジャジン)将軍、池青天(チ・チョンチョン)将軍、李範奭(イ・ボムソク)将軍と新興武官学校の創立者である李会栄(イ・フェヨン)氏を合わせた5体の胸像のうち、洪将軍の胸像だけを学校外に移す案を検討していることが分かった。陸軍士官学校は当初、胸像5体をすべて天安(チョナン)の独立記念館に移そうとしたが、批判世論が激しいため、洪将軍の胸像だけを移す「変則」を試みているわけだ。国防部はこの日、海軍潜水艦「洪範図」の名称変更についても、「必要であれば検討が可能だと考えている」と述べた。
国防部が「洪範図胸像の撤去」に踏み切ったのは、大統領室とのコンセンサスによるものとみられる。大統領室のイ・ジンボク政務首席はこの日、仁川(インチョン)国際空港公社の人材開発院で開かれた与党「国民の力」の議員研鑽(けんさん)会で、「(2021年8月に洪将軍の遺骨がカザフスタンから奉還された際)非常に盛大に執り行い、突然各地に胸像が設置され、陸軍士官学校にも胸像ができた。これがはたして正しいことなのかどうかは、国民の前で一度ふるいにかけるべきであり、問題があれば国民の意向に従うことが正しいのではないか」と述べた。
クォン・ヒョクチョル記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2023-08-29 02:44