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ICT工夫

全ての自由を奪えても、自由を求める自由だけは奪えない
  だからネットの使い方も 工夫 したい こうふ のブログ

「正社員」保護しすぎ論

2009-01-06 00:13:00 | 政治・社会

2008年12月23日に甲府市SNSサイト(>e-こうふ情報ねっと)に書いていた日記です。年越し派遣村はこの後の事ですが、既に二つ続けて書いた記事に関係する事を書いていたので、ここに掲載する事にしました。

2008/12/20 のJ-CASTニュースにこんな記事がありました。働かない中高年リッチ解雇せよ 「正社員」保護しすぎ論が台頭

この記事からリンクされている池田信夫氏のブログ記事を私は読み落としていたのですが、2008-12-21 「世代間戦争」という記事でこの件に言及されて、コメントも多数投稿されていました。

派遣切りとかワーキングプアの問題は年を越して2009年でも大きな問題が継続するでしょう。
いわゆる既得権益を享受している人々への風当たりが強くなったとしても、『自分はそんな権益は受けていない、今の状態は当たり前だ』と思う人々の方が多いのが現役正社員・公務員世代だと思います。仮にこの問題が政策論争になっても現状維持政党の方が総選挙で勝つでしょう。でも諦めちゃいけない。

年齢給(年功序列)という制度がどういう形で表わされるか統計値は知りませんが多分右上がりの曲線が描けるでしょう。
それを職能給(能力給)という形にして、非生産年令の子供達に対しては社会的保障(教育・医療の無料化など)の制度(子供は社会が育てる制度)を構築すれば扶養手当などの余分なシステムは要らなくなります。社会的保障の範疇には子供以外でもそれが必要な人々が入る。命の尊厳を維持する。

そういう制度変更と平行して年齢給を職能給に変更し、その基準線は一定の生活水準を維持する給与としたら、年令に関係無い給与体系が構築され年令を横軸にした給与統計曲線は今の平均的初任給水準以上でほぼ水平化する。
結婚できない、子供が欲しくても所得を考えたら生めないという若い世代の問題は解消する。逆に定年などという愚かな制度も必要無くなる。

所得の差は年令では無く能力に応じたものだとなると、職種によっては若い人の方が高給取りになり(例えばプログラミングが出来る年代)、その時期が終わる頃までに次にステップ(システム全体を構築できる能力)への努力をしない限り加齢と共に所得は生活水準給与まで下がる。生涯学習の本当の意味が見えてくる。

今のシステムを享受している現役正社員・公務員世代に堪えがたい改革が行われることは困難かも知れませんが、世間様のお蔭様で自分が生かされているという仏教的思想はそれなりの場所にいる人ほど考えて欲しいものだと思いたい。ワラジを作る人がいなければ自分は駕篭には乗れないのだと。

日本的雇用体制を変革するとしたら多分公務員の給与体系が変わらねば社会的には浸透しないと思います。2009年にもし政変があれば激動の年になるかも知れません。


以上のような事を書いていたので、「年越し派遣村」が他人事とは思えずにいましたがボランティアとして東京まで出かけることはできませんでした。無事に年を越せた事を一人ささやかに祝っていました。2009年3月末までには8万5千人の解雇者が累積するとの報道もあります。派遣村に関する1月4日の記事で「雇用戦争・・・」というタイトルを付けたのにはそれが頭にありました。以前どこかに書いたのですが、就職する時に恩師から「退職するまでの給料が計算できるようなところに行くな」と言われたのは、今のNTTが電電公社と呼ばれていた時代の事です、私の専攻ではこちらにいく友人も多かったから(^o^) その給与体系は多分公務員と同等だったと思います、だから就職時に退職金まで計算できたらしい・・・

追記-賃金を下げれば失業率は下がる(池田信夫 blog 2009-01-06)という記事が出ています。ここで言及されている小倉秀夫さんのブログ記事は「正社員」を「敵」として祭り上げる言論の流行(2009-01-04)です。この辺のテーマを考えるのは後日にしたいと思います。小倉秀夫さんはネットでの言論のあり方などについてもいろいろ考えさせられる発信が多い方です。
もうひとつ、本文で述べた職能給についても現実は理論とはかなり異なる様相があるようです。ピラミッド型にマッチした給与システムとネットワーク型にマッチしたそれとの違いなど組織の構造にもよるでしょう。頭を柔らかくして考え続けねばならない事が多いと思っています。まずは前例踏襲型、他の事例準拠型から脱却する事でしょうか。


年越し派遣村-続き

2009-01-05 18:05:35 | 政治・社会

昨晩書いた年越し派遣村にも関係する記事「雇用戦争とNPOの活動」には、仕事始めの1月5日に電話確認した日比谷公園の使用について追記しておきましたが、もうひとつ私が調べきれなかったのは厚生労働省の講堂が開放された経緯でした。なにしろ1月2日にこれが決まったのですがお役所は休みです。

「カトラー:katolerのマーケティング言論」というブログ記事の、「年越し派遣村」の正月に見た「中流」の崩壊(2009.01.04)に、『年越し派遣村には、マスコミも含め、外部の視察者が多数来ていたが、政治家では、厚生労働副大臣で自民党の大村秀章衆議院議員が顔を見せ、私たちボランティアが握ったおむすびを入村者に配っていた。大村は、年越し派遣村に予想を超えて住居の無い人々が集まってきたため、厚労省の講堂を宿泊場所として急遽開放するなどの措置をとった。』との記述があり大村秀章氏の指示だったと理解しました。

時事通信サイトで、「国は現場を知らない」=年越し派遣村で-石原都知事(2009/01/05-12:33)の記事が出ていました。
 『東京都の石原慎太郎知事は5日、都職員に向けた新年のあいさつで、都が避難所などを提供する市民団体主催の「年越し派遣村」の事業について「政府や厚生労働省は(労働者を)救おうとの意思はあるかもしれないが、どうしたらいいか分からない。結局、ボランティアの方々と地方自治体が協力して成果を上げた」と述べた。その上で「本当に国というのは大事な現場を知らないなとつくづく感じる」と政府の対応を批判した。』とのことです。前の記事に追記したようにやはり石原都知事の意思も働いていたのだろうと思います。

カトラーさんは『こうした対応については評価すべきだが、大村議員には厚生労働副大臣として先ずやるべきことがある。』と書いています。何をやるべきと書かれているかブログをご参照ください(^o^)
毎日新聞には舛添厚労相:製造業への派遣、個人的には反対(2009年1月5日 東京夕刊)の記事が出ました。東大教授としてテレビ討論に出演していた頃から舛添要一さんは知っていましたが政治家に転進されてからのスタンスには歯痒いものを感じていたので、今後に期待したいと思います。『「年越し派遣村」の入村者への今後の対策については「職と住居を確保することが第一。すぐに見つからない人に対しては、生活保護の手当てを急いだり、つなぎの融資条件を緩めるなど、総合的に救済したい」と述べた。』 今のマスメディアのスポットライトから外れて隠れてしまっている人々にも同じ思いをはせることを忘れてはいけないでしょう。

追記-「年越し派遣村」サイトを見ていて2008年1月2日のブログの記事に厚生労働省の講堂の開放かちとる!というタイトルの記事がありました。 『「派遣村」実行委員会が厚生労働省に行っていた、5日までの宿泊場所確保・提供の申し入れがみのり、厚生労働省の講堂が開放されることとなりました!』とあります。上に書いたように大村秀章厚生労働副大臣の指示だったと理解した私が間違えているかも知れませんが、どちらにせよ「開放かちとる!」というタイトルにワタシ的には違和感があります、「講堂が開放されます」というようなタイトルで私なら書きます。

Sakamoto01 ◇ 毎日新聞で、派遣村:「本当に働こうとしている人か」と坂本総務政務官(最終更新 1月5日 19時03分)の記事を読みました。『坂本哲志総務政務官は5日、総務省の仕事始め式のあいさつで、仕事と住まいを失った派遣労働者らを支援するために東京・日比谷公園に開設されていた「年越し派遣村」に触れ、「本当にまじめに働こうとしている人たちが日比谷公園に集まってきているのかという気もした」と述べた。そのうえで「(集まった人が)講堂を開けろ、もっといろんな人が出てこいと(言っていたのは)、学生紛争の時の戦術、戦略が垣間見えるような気がした」と続けた。』 坂本哲志さんは昭和25(1950)年生れですから学園紛争を身近に体験されていたのかも知れません。

この記事では派遣村の人々の要求に応じて厚生労働省が講堂を開放したということでしょうか。経緯を説明する正確な情報が欲しいです・・・

◇ 菅直人公式ホームページの2009年1月 3日記事、派遣村には、『「派遣村」の関係者から予想以上の人が集まり、泊まるテントや炊事の機能が不足なので何とかならないかという相談が飛び込んできた。政府関係者や近隣の区長に働きかけると共に私自身も日比谷公園に駆けつけた。最終的には厚労省が講堂を開放してくれると共に、中央区も廃校を2箇所開放してくれることになった。』と書かれていました。複数の人々の連係プレーがあったのでしょう。

◇ 東京都広報ページは、「年越し派遣村」を訪れている労働者に対する緊急支援(平成21年1月4日 福祉保健局)が読めました。これについて「年越し派遣村」ブログでは1月4日20:35 「厚生労働省と東京都が500人分の住と食を保障と決定!」と記事があります。

◇ 東京都千代田区、人口43千人、23千世帯、現在生活保護を受けているのは約400世帯、『FAX申請が約230人。住所が日比谷公園になっていても、資産がないなどの受給資格が認められれば、生活保護費が支給される。』産経新聞 2009.1.5)

このテーマははっきりした結論が出ませんが東京都記事にあるように『「年越し派遣村」の主催者から、厚生労働大臣に対し緊急避難場所の提供等についての要請』という正式な形式が踏まれた(ここに至るまでにいろいろな方々の根回しもあった?)として終りにします。私は些細な事が気になるのです、その5W1Hを確認するとICTにも関係するけっこう本質的な事に気が付く場合があるから・・・

2009-01-09 最終補足です。田原総一朗の政財界「ここだけの話 「派遣首切り問題の根っこにあるもの」に書かれていたので残します。やはり新聞が書かない事を私はネット記事から調べていたのだったと納得しました。私はこれからも同じような調べ事を繰り返すだろうと思います--ネットオタクですから(^o^)
『番組では終始悪者だった大村秀章 厚生労働副大臣だが、派遣村の湯浅誠 村長の要請を受け入れて、厚生労働省の講堂を、元派遣社員の宿泊用に開放した。  官僚は絶対反対だろうから、これは相当大変だっただろう。よくやったと思う。  しかし、こういうことを新聞は全く書かない。開放されたということは書くが、何があったのかということは書かない。いきさつが分かれば、「あぁ、世の中ってそういう風に動いているのか」と分かりやすいのに、そういう報道が全く無い。とても残念だと思う。』


雇用戦争とNPOの活動

2009-01-04 23:17:00 | 政治・社会

「仕事を失った派遣労働者などを対象に、NPO法人が、就職活動の支援やアドバイスを行う相談窓口が山梨県中央市に設けられました。」との記事をNHK山梨のニュース 2009.01.04 で読みました。
特定非営利活動法人山梨キャリアコンサルティング協会-「ニュース」に最新情報があります。
山梨NPO情報ネットによると、2004年05月13日認証の特定非営利活動法人で活動目的は、『この法人は、就業し社会生活を営むことを目的とする全ての人に対して、キャリアコンサルタントに関する事業を行い、個人の職業選択やキャリア形成の支援を通して、豊かで実りある人生を設計することに寄与することを目的とする。』 下にNHKの記事から引用しておきます。尚、NPO日本キャリア・コンサルサント協会というのが内閣府認証で全国展開をしています、リンク集には山梨YCCAも入っています。

相談は専門知識がある5人が担当し、就職活動の進め方について相談に応じるほか、面接の受け方や履歴書の書き方など、就職に関する実践的な指導を行います。窓口では当面、今月中の土曜日と日曜日、それに祝日の午前10時から午後6時まで相談に応じるということで、まず最初に055-274-7722に電話をしてほしいということです。NPO法人の藤原行雄事務局長は、「県内でも雇用問題は深刻になってきているので、今回の取り組みを始めることにした。気軽に相談してほしい」と話しています。

2008年12月25日にデジカメはキャノンでよいかという記事を書いてから正社員と非正社員の格差の問題や企業の存続などのことに触れた記事を読んで来ました。日比谷で年末年始を生き抜く。 - 年越し派遣村という公式ブログまで出来ている、特定非営利活動法人自立生活サポートセンター もやいという活動もある、そんなことを知りながら憂鬱な気分で過ごした年末年始でした。同じようになる状況を何度も乗り越えて来た私としては他人事(ひとごと)とは思えないのです。
追記-「年越し派遣村」に関連して共同通信は500人の宿泊スペース確保  学校跡地など都内4カ所に(2009/01/04 23:38 )を配信しています。 年越し派遣村ブログ記事

元旦の各紙社説では東京新聞朝日新聞が「新自由主義」、「市場原理主義」などの言葉を使いながら小泉改革以後を論じているように思えました。私には日本経済新聞が書いた、『市場を信頼し自由競争を重んじるこの保守主義の政策が金融危機を招いたとする見方もあるが、必ずしも正しくない。保守主義は「何でもご自由に」ではないからだ。』という部分にうなずきたい気持ちがあります。金融問題だけではなく経済活動には「自由競争、市場原理」があるべきだと思うからです。しかしなぜ雇用に起因する格差社会が生れてきたのかという事がいまひとつ腑に落ちませんでした。でも雇用システムの作り方によっては格差を生むと見せてくれたのがキャノン問題です。

格差社会の元凶とされているように思える「市場原理主義」が実は雇用される側と雇用する側との間では機能していないのだということが、少しずつ分かってきました。雇用制度に対等な市場原理が機能するようにはシステムから作られていない、そのシステムを構築したのが「倒産しない日本国の正社員」である官僚だったからでしょうか。辻広雅文さんがお書きになった記事を読んで、それを変えようという動きがある事も知りました。
ワーキングプア 「努力すれば抜け出せますか?」 2007年05月22日 山梨キャリアコンサルティング協会
正社員のクビを切りやすくする改革は受け入れられるか 辻広雅文(ダイヤモンド社論説委員) 2008年02月05日
再度問う。正社員のクビを切れる改革は本当にタブーなのか? 同上、2008年02月20日
雇用環境も福祉も欧米以下! 日本は「世界で一番冷たい」格差社会 米国の著名社会政治学者が大警鐘 ダイヤモンド・オンライン 2008年06月30日
奴隷制の効率性 池田信夫 blog 2009-01-03
人権という迷信 同上、2009-01-04

今の経済状況から回復するために財政出動が必要なら、その行き先は中央官庁や企業による「市場原理主義」の被害者に対する社会の安全ネット強化に向ける事が一番よいでしょうし、今はそれしか無いと思います。住まいや雇用保険、医療保険そして年金を万人が確保できるようにしながら、同時に真の意味での市場原理でシステムの再設計をしていくべきでしょう。おそらく公務員労働市場こそが市場原理主義を組み込まねばならない最大の市場かもしれません。それに踏み切れる政治が可能かどうかです。
そして派遣切りなどする企業には誰も就職しなくても「スモールイズビューティフル」で生きていかれるような仕事の群れ(NPOなど)をどんどん作り上げる事です。

東京新聞が書いたようなスウェーデン型社会が可能なのかどうかわかりませんが、日本経済新聞が書いたように、『小泉政権の下で郵政事業の民営化などに踏み出したものの、医療、農業、教育、運輸など成長につながる多くの分野で、民間の力をいかすための改革が足踏みしている。』という事に注意して、もう二度と「官僚の便乗を許さない」、国民の代理人としての政治(家)主導のシステムにするべきでしょう、組織の代理人ばかりのさばって来たから、こんな状況になったのではないですか。

さて、地デジ移行問題に真の市場原理主義が適用されていたらどうなっていたか、2011年7月地デジ移行まであと930日。デジタル格差(情報利活用格差)の拡大かそれとも解消か。

日比谷公園は東京都の東部公園緑地事務所が管理しています。年越し派遣村については管理課に口頭で申請があり、集会など一般利用は認められているが宿泊や火気の使用はできないことを伝えたとのことです。その後は年末年始の休みになったわけですが新聞、テレビでも大きく報じられていたので石原知事も当然ご存じだったでしょう。1月5日朝に閉村式が行なわれた事が報じられました。他人事では無いと派遣村を温かく静かに見守った人々の心を感じます。大蔵経寺山の山火事では年末年始返上で活動された消防・自衛隊の方々がおられました。この二つのニュースから感じる共同体の意味をきちんと受け止めたいと思います。「年越し派遣村」ブログを今後もウォッチしていくつもりです。

2ちゃんねる?の投稿をログしてあるブログ-「痛いニュース」などのような意見もあります、Google 年越し派遣村検索で多数の記事がヒットします。本文に書いたような「自由競争、市場原理」について「自己責任」という言葉と並べて考える時には「結果」ではなく「機会」について社会制度がどのように構築されているかも考察せねばなりません。もっと根本にはそういう制度を作り上げた社会のあり方を歴史的な視野も踏まえて考察せねばならないと私は思っています。世の中も人生も複雑怪奇だからおもしろい、生涯学習と言われる由縁でしょうか。


武田神社に初詣、謹賀新年

2009-01-01 18:18:22 | 歳時記

20090101_01 元旦の甲府は晴れて風もなく穏やかでした。私は2年ぶりに武田神社に初詣することにしました。
武田通りを歩いて行ったのですが車はまるで動けない渋滞でしたから徒歩で出かけたのは正解でした。
しかし参詣者の列もすごい、黄色いロープに誘導されて東の方まで列が続いています。

一昨年2007年の元旦初詣の時は風林火山の年でしたので人出も多かったのですが、それと同じ状況です。
まあ一時間は覚悟しようと列の後尾に並びました。

 

20090101_03 お堀の太鼓橋(神橋)を渡った石段の手前で待機、ここまで15分程度でした。

鳥居前の門松は甲斐の国・武田バージョンです。竹の先端を斜めに切り落としてある門松も多いのですが武田の国では切り落とさないのが当然でしょう(^o^)

二通りある本当の理由は知りません・・・Wikipedia 門松をご参照ください。

2007年のページに写真を載せてありますが、同じ仕様です。

 

20090101_04 ようやく一の鳥居が近付いて来ました、ここまで40分くらいかかりました。

ちなみに朝日新聞山梨版の初詣案内記事によると『■武田神社(甲府市古府中町2611)、12月31日午後11時~1日午後3時、神社前の道路は交通規制。1日午前9時~午後3時、甲府駅南口発、北口経由の臨時シャトルバスが随時運行。臨時駐車場は甲府駅北口、相川小学校、北東中学校、新紺屋小学校の4カ所。甲府駅から徒歩30分。』

お参りが終わるまでやはり1時間はかかりました。

とにかくこの人出は凄いです。日頃は人込みには出ない私ですが、甲府市中心街でもこんな人出があるような、そんな街の活気が戻ることを今日の「神頼み」に追加した私でした・・・お賽銭少な過ぎたかなぁ

20090101_09 武田神社の上空を西から東に、東から西に、自衛隊のヘリコプターが頻繁(はんざつ ひんぱん)に行き来していました。大蔵経寺山(だいぞうきょうじやま)の山火事は未だ終息していないようです。

今夜はどしゃぶりの集中豪雨が欲しいところです。

※ 新年早々ひとつだけまた余計な事を書いておきます。大火災発生時には千代田湖からも取水できるように何とかしたほうが良いですよ -> ご関係者の皆さま。

◇ 富士の国やまなし観光ネット 大蔵経寺山
大蔵経寺山 “山梨百名山”
◇ 国立国会図書館-大蔵経(一切経)

1月1日20時55分更新のNHK山梨のニュースが出ていました。『消防は午後5時、「山火事は鎮圧した」と発表しました。消防によりますと、この火事で焼けた山林は▼甲府市側で49.6ヘクタール、▼笛吹市側で5.6ヘクタールの、あわせて55.2ヘクタールに上りました。』
山梨県消防防災ヘリコプター「あかふじ」のページがありました。

2009年01月01日、甲府市防災防犯メールマガジン 甲府市からお知らせします 12月28日甲府市桜井町大蔵経寺山で発生した山林火災は本日午後5時に火勢鎮圧されました  空気が乾燥しており火災が起こりやすくなっておりますので火のもとには十分注意してください

2009年1月24日の 読売新聞山梨版に大蔵経寺山火事―12月28日の発生から12日後の1月9日にようやく鎮火宣言が出された・・なぜ繰り返し、消し止めるのに時間がかかったのかを探った。という記事がありましたので追加しておきます。