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若松孝二監督、2011-02-14ワークショップにて 「想う」とタイトルはしても私には何も書けない。若松さんのお話を直接伺えたのは、山梨県甲府市の湯村温泉郷で行なわれたワーショップの時、一度だけで、その時に知った映画 「キャタピラー CATERPILLAR」 も未だ見ていない。甲府でも機会があったのだが、311でそのチャンスは消えてしまった。

若松さんのご逝去を知ったのは、いつも見ている「湯村の杜 竹中英太郎記念館の館長日記」からだったし、10月24日に告別式が行なわれたことも24日の館長日記から知った。

私が若松孝二監督のお名前に注目するようになったのも、竹中英太郎記念館からだった。それは映画 「戒厳令の夜」 で竹中労さんと共に製作者の名前として記されていたからだが、若松さんには「あのポルノ映画の監督?」という程度の認識しかなかったのだから・・・過去の私の関心空間は全く別方向だった。

鈴木邦男さんが10月22日に「残念です。悔しいです。若松孝二監督が亡くなられました」とお書きになった。「悔しいです。」という言葉は全くその通りだと私も思う。
若松孝二公式ブログでも、スタッフの方が記事をお書きになっている。

「映画監督 若松孝二 公式サイト」を読み作品に触れながら、「またお目にかかれる時まで、未熟ながら私も日本の姿について考え続けていきます。」 と申し上げてお送りしたい。
「湯村の杜」を軸にして大きな世界が広がっていることに気付いたからこそ私は甲府に居続けているのだから考える材料も多く空間も広い。それを活かせるかどうか、あちらに着いたときに竹中労さんや若松孝二さんに胸を張って会えるかどうかは私自身の問題だ。



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