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第43回 甲府空襲 戦争と平和・環境展 7月3日~9日(2024年 令和6年)
会場・山梨県立図書館1階イベントスペース(山梨県立図書館

山梨県甲府市への空襲 昭和20年(1945年)7月6日深夜から7月7日未明にかけてアメリカ軍の大規模な空襲でした。

県立図書館による甲府空襲の記事を久し振りに読ませていただきました。甲府市の空襲について気付いた記事は読んでいましたが、今回の記事を読みながら自分が何も知らずにいるような気がしています。ブログ記事の読み返しから始めようと思っています。
ウィキペディア (Wikipedia)
 甲府市は市街地の74%(79%とも言われる)が灰燼に帰した。また、この他に山梨県内では以下の空襲がアメリカ軍によって実施されている。

 5月19日 峡西、峡南地区の山中2ヶ所にアメリカ軍機が爆弾を投下。負傷者数名。
 6月 9日 甲府市国母地区の田圃にアメリカ軍機が爆弾を1発投下。被害なし。
 7月10日 大月町、猿橋町がアメリカ軍による空襲を受ける。死者1名、重傷者1名、工場1棟が被害を受ける。
 7月30日 南都留郡下吉田町、中巨摩郡百田村、中巨摩郡鏡中条村、中巨摩郡五明村、中巨摩郡落合村、南巨摩郡増穂町がアメリカ軍による空襲を受ける。死者16名、軽傷者18名、工場1棟半壊、被害戸数6戸。
 8月 1日 北都留郡上野原町、東八代郡芦川村がアメリカ軍による空襲を受ける。工場1棟全焼、被害戸数5戸。
 8月13日 北都留郡大月町、南都留郡下吉田町、南都留郡禾生村がアメリカ軍による空襲を受ける。死者54名、重傷者48名、罹災者110名、被害戸数33戸。工場5棟が被害を受ける。

この件について県庁や市町村の記事を確認したいと思います。


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