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目黒や渋谷の立ち話で、こんな話が出てくるといいな・・・ということでトラックバック送りました。
立ち話のできる町 8/4記事渋谷WEST日記-地域社会・立ち話ができるまち(8月1日)

2006年8月17日の読売新聞山梨版に目黒区八雲小学校と甲府市の関係が掲載されていました。それに掲載されていたサイトにリンクしておきます。「学童疎開ホームページ」、ここには2005年10月20日の山梨日日新聞記事を紹介したページもありました。


戦時中、甲府市に疎開していた東京都内の国民学校の子供たちを撮影した写真77枚を、甲府市千塚の小石孝夫さん(70)らが発見し、写真に写っている学童やその家族を探している。
小石さんは「みんな70歳を超えているはず。元気なうちに写真を見せたい」と連絡を待っている。  写真は、目黒区の旧制八雲国民学校(現八雲小)の約400人が疎開していたときのもので計77枚。  
山梨県内には、1944年9月~1945年10月にかけ、都内から学童約7700人が疎開。八雲国民学校からは甲府市などへ約400人がやってきた。八雲の6年生には、45年3月に卒業式のため帰京して東京空襲に遭い亡くなった者もいる。終戦を迎え、ほかの子供も山梨を去ったが、小石さんは、ずっと安否が気になっていた。
 「大日本写真報国会甲府支部 疎開学童撮影奉仕会」が当時、疎開中の学童の様子を撮影し、アルバムにまとめて八雲国民学校に贈っていたことを示す資料を2年前に見つけた。八雲小にアルバムの所在を尋ねる手紙を出すなどし、昨夏、目黒区立図書館にアルバムが保管されていることを突き止めた。  写真には、寮の浴室で入浴したり、疎開先の学校で休憩時間に遊ぶ子供たちの生き生きとした姿が写っている。
小石さんは「1人でも多くの関係者に写真を見せたい」との気持ちを新たにしたという。写真を探す過程で、八雲に通っていた9人とは再会したが、まだ多くの「学童」たちの所在がつかめない。(読売新聞より)


八雲小学校、目黒区の関連リンク
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八雲小学校は目黒区内最古の小学校
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(2008.07.05 このページはリンク先を再確認して修正しました)



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