ICT工夫
全ての自由を奪えても、自由を求める自由だけは奪えない
  だからネットの使い方も 工夫 したい こうふ のブログ




甲府空襲
 市防空本部の発表によると、空襲警報が解除されたのは7日午前2時20分、そして3時20分警戒警報解除となっている。2時間半ほどの時間で、市民の中には一家全滅の悲惨な状況や、肉親を失なった者が多数生じた。また、この時間である者は運命を狂わせ、少くともすべての市民は空襲の惨禍をいやというほど体験させられた。
 7月6日午後11時23分、甲府市防空本部は、警戒警報のサイレンを鳴らした。燈火管制下の甲府市内は闇の中に包まれていた。B29の爆音が真上に近づいた瞬間、市の北部の愛宕山の上空に照明弾が落下された11時54分、同時に市防空本部は"空襲警報"を発令した。
 市防空本部は7日午前2時20分に"空襲警報解除"を発令、同3時20分に警戒警報を解除した。
 【以上は総務省記事・甲府市における戦災の状況(山梨県)から引用】

 甲府空襲で投下された爆弾は、2.8キロ油脂焼夷弾、若干の1.8キロエレクトロン焼夷弾、50キロ級油脂焼夷弾であり、これら焼夷弾攻撃によって、一瞬にして甲府市の大部分は灰燼(かいじん)と化したのであった。焼失した主要建物は、甲府地方裁判所、山梨医専附属病院、甲府市役所、山梨工業専門学校、山梨師範男子部、甲府高女、湯田高女、栄和高女、申府商業、琢美・相生・春日・新紺屋・女子の6国民学校を始め多数に及んだ。

 この空襲は、甲府市襲撃が目的とされたものであったが、市に隣接する東八代郡の石和町・富士見村(石和町)・柏村(中道町)・境川村、東山梨郡の岡部村(石和町・春日居町)・春日居村(春日居町)、西山梨郡の玉諸村・甲運村・住吉村・山城村(以上甲府市)、中巨摩郡の玉幡村・竜王村(以上竜王町)・昭和村(昭和町)の1町12力村にも、被害は軽微であったが焼夷弾が投下された。

 また、6日夜半にはじまる空襲で、甲府焼爆に第一梯団を送りこんだB29の編隊は、同時に清水市と千葉市の攻撃を行なっている。すなわち、B29約200機のうち、東二梯団約60機は御前崎附近より侵入して清水市へ、次いで第三梯団約50機は房総南部より侵入、千葉市とその周辺地区を焼夷弾攻撃、第四梯団約10機は銚子附近より侵入し、水戸附近と霞ケ浦方面を行動したのであった。

 東部軍管区内の中小都市に対する攻撃は、これが最初であると報道された。

 全国で市制施行206都市のうち、この戦争による被爆都市は98都市に及んだが、その中で被害の大きかった都市は80を数える。家屋の焼失率は平均40%以上、その焼失全壊戸数は全国市制施行都市家屋の3割強を示すという。被害の大部分は焼夷弾攻撃によるものであったが、甲府の焼失率は、浜松市と並び、福井市に次ぐ大きなものであった。
甲府空襲殉難無縁仏供養碑  甲府大空襲 殉難無縁仏の供養碑(甲府市つつじヶ崎霊園) 毎年8月に甲府市による慰霊祭があります。
 甲府市長公式ページ・8月7日 【令和2年度戦災殉難者無縁仏の供養】 『昭和20年7月6日、深夜からの空爆によって甲府市は一面焦土と化し、多くの市民の尊い命や財産が失われました。 戦後75年を迎え、戦争を体験された方々の高齢化が進む今日、平和の尊さを若い世代へ語り継ぐとともに、先人の方々が懸命に築かれた甲府市を、さらに夢と希望に満ちたものとして次世代に引き継いでいけるよう、渾身の努力を尽くしてまいります。』
礎地蔵  以前正ノ木さんに出かけたときに一蓮寺境内にある「礎地蔵」を知りお参りしました。 「平和へのいしずえとなられた方々への慰霊と報恩」 という掲示を拝読しました。
第2次世界大戦終了の1945年から76年を経た2011年、第3次世界大戦とも言えるコロナ禍戦争は、これまでの日本を支えてこられた高齢者の方々がコロナ禍の犠牲となっておられる。
その一方で1945年までの日本を支配し数百万人の犠牲者を出した者達の後継者は当時の思想から脱することなく、それに協働するもの達と共に今でも日本国を牛耳る状況、それをなんとも思わず選択機会があるたびに彼等を議会に送り込んで来た国民。コロナウイルスが天から下ってきたものなら、コロナ禍は天がなした第三次世界大戦なのだ。
甲府空襲の時、その前に飛来したB29から空襲予告がばら撒かれた・・・
 2-4.宣伝ビラ舞う 二、敵の宣伝ビラを入手した場合は、隠すことなく警察・警防団・学校へ届出る。勿論その内容は謀略であるから、実話として伝えることなきよう厳に戒むること。(掲載・総務省記事)
我が国行政の本性は如何なるものであるか、それを明確に示した歴史の一片であろう。
そしてこの情報を知ったのは新聞紙でも図書でもない、インターネットの検索からである。NHKですら聖火リレーの中継映像を自社サイトでネット発信なのだ。そして私はこの記事を電話回線を使わない無線ルートで書いている。如何なる国家でも国民が得られる情報を操作出来るような国家であってはならない。甲府空襲の歴史からこの結論に至って記事を終る。


コメント ( 0 ) | Trackback ( )


« 山梨県の土砂... 五輪は無観客... »