ICT工夫
全ての自由を奪えても、自由を求める自由だけは奪えない
  だからネットの使い方も 工夫 したい こうふ のブログ




甲府空襲

◇ 甲府盆地は火の海だった : 甲府空襲の真相を探る 諸星廣夫 著(国立国会図書館の登録情報です)
 『アメリカ軍はなぜ甲府という小さな町を狙い、操縦士はどんな心境で B29 から爆弾を投下したのか。元パイロットの著者は取材を繰り返して資料を集め、真相に迫った。』(Amazon のコメントから)
◇ 甲府空襲の真相は…どう伝えるか(山梨平和ミュージアム・ブログの過去記事)
山梨平和ミュージアムを訪問した時、この図書が販売されていたので入手できました。カバーを外してスキャンした画像です。

やまなしNPO情報ネット イベント・講座情報(PDFファイルの1頁のみ引用)
第38回甲府空襲展
主催・協賛・後援の一覧表
甲府空襲展
 甲府大空襲 殉難無縁仏の供養碑
    甲府市つつじヶ崎霊園
甲府空襲殉難無縁仏供養碑

【甲府空襲について書いた過去記事の一部】
◇ 2018-07-05 第37回甲府空襲 戦争と平和・環境展
◇ 2010-06-25 第29回甲府空襲 戦争と平和・環境展 2010(2013年 第32回に言及した追記あり)
◇ 2009-06-29 第28回甲府空襲 戦争と平和・環境展
◇ 2008-07-07 躑躅ヶ崎、戦災殉難者慰霊碑 
◇ 2007-07-03 「甲府空襲は、しょうがなかった」か?
◇ 2007-06-30 甲府空襲関連行事
◇ 2006-07-07 甲府空襲追悼行事


【甲府空襲以外に山梨県への空襲で私が知っているのは次の2件のみ、リンクしておきます。】
◇ 昭和20年(1945年)7月30日 吉田空襲 富士吉田市内の竜ケ丘にあった「武蔵航空株式会社吉田工場」が米軍機の標的となり12人が死亡した吉田空襲。
◇ 昭和20年(1945年)8月13日 大月空襲 『私たちの住む町大月がアメリカ軍の空襲を受けました。』
『川崎を爆撃できなかった彼らは,爆弾を「捨てる」場所を求めていました。そして雲の切れ間に偶然見えたダムや大きな建物群が彼らを惹きつけ,たくさんの人が亡くなるこの「大月空襲」が行われたのです。』 戦争という愚かな施策が生みだす悲惨な結果の一つが記録されています。

『昭和39_1964年、日本政府は「日本の航空自衛隊の育成に協力した」との理由から、カーチス・E・ルメイ将軍に対して勲一等旭日大綬章を贈っている。時の総理大臣は、後にノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作だった。』昭和20年3月10日 東京大空襲 から引用)

口先で平和を語るのは簡単です。その平和は何ゆえに崩れ、市民の生活が壊され子供たちまで死んでいくのか、その「何故」を考え続け、その時その時に応じて自分の選択を誤らない事こそが、真に平和な世の中をもたらすと私はいつも思っています。私にはネットも有効なツールなのです。



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