ICT工夫
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久間防衛大臣の原爆投下に関する発言が大問題になっています。
色々な記事を読みながら東京大空襲や甲府大空襲で亡くなった方々の事も考えました。
焼夷弾という日本の都市構造に適合した爆弾を開発し実用した。それは軍を敵にするというより一般市民-日本人全てに向けられた。

山梨は太平洋から遠いから無かったのですが、沿岸地域では艦砲射撃という攻撃でも市民が犠牲になった。
例えば「釜石は本州初の艦砲射撃を受けました」、釜石市ホームページに記録があります。「艦砲射撃」を検索語にして調べれば多数の記事が見えます。戦闘機が来て打ち返せるわけでも無くただ逃げ回る市民を機銃掃射で殺していく話も読み聞きしたことがあります。

同じことは今も中近東で起っている訳です、本心に即して口を滑らす久間防衛大臣やこういう発想を支持・擁護する人々は「甲府空襲はしょうがなかった」と考えるでしょう。

「過ちは繰り返しません、安らかに眠ってください」、甲府空襲の犠牲者に心からそのように言え、実行できる政治家で無ければ国政の政治家として選択することはできません。

原爆慰霊碑の「過ちは繰り返しません」という言葉は主語が不明だと感じた事があります。調べてみたら Wikipedia にもその事が書かれていました。その主語が最近になって明確になってきたのではないか。この碑文を選定した人々は、日本人の中に「過ちを過ちとは認めない」部分が残っていることを、それが復活することを推測していたのかも知れません。それが杞憂では無かったことが久間防衛大臣によっても明らかになったと、私は思いました。


昨年、2006年07月04日に「e-こうふ情報ねっと」の記事として以下の事を書き、礎地蔵の写真も載せてあります。遅れましたがICT甲府ホームページの記事にもしようと思っています。礎地蔵

7月6日は甲府大空襲の日ですね。
先日通りかかったときに甲府連隊(歩兵第四十九連隊)の「営門跡」の石碑を見つけました。山梨大学赤レンガ館はこの連隊の糧秣倉庫だったということです。石碑は北新町にある山梨県民福祉プラザの駐車場内角地に建っていました。

空襲については5月の正ノ木さんに出かけたとき、一蓮寺境内にある「礎地蔵」を知りお参りました。「平和へのいしずえとなられた方々への慰霊と報恩」 という掲示があります。

明日は七夕さんだよと飾りを楽しんだ子供たちも大勢が犠牲になったのでしょう。言葉がありません。合掌

200707bungakukan


2007年7月の七夕祭り、山梨県立文学館で短冊を書いていたこの子が、すこやかに成長なさいますように。

それは私達おとなの責任です。


修正と補足・私は最初に久間防衛大臣関係の記事を読みながら、「しかたがなかった」という発言だと思い込んでいました。「しょうがなかった」というのが正しいのでこの記事のタイトルも修正しました。「しょうがない」「しようがない」と二つの書き方ができますが、口語としては「しょうがない」だと思います。イギリスの国営放送BBCが報じていることも知りました。発言の英訳は以下のようになっていました。
"I think it was something that couldn't be helped," said Fumio Kyuma in a speech at a university east of Tokyo.
辞書を逆引きしたら、It cannot be helped. で「どうにもしようがない」という和訳も出てきました。



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