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NHK 能登半島地震 被災地からの声(随時更新)
 2024年元日、家族や知人がそろい1年の安全を祈る日。最大震度7の能登半島地震は、その平穏な時間を突然奪いました。地震発生直後からNHK取材班が聞かせていただいた遺族や被災者、被災地で活動されている方々の声です。
(「1分、1秒が宝物」あの日で時間が止まってほしかった 7月3日更新)。

 
2024年7月3日 18時26分 「1分、1秒が宝物」あの日で時間が止まってほしかった
 昨日は、久々に仕事に行ってきました。
 そして、自宅に帰ってきたら誰もいない家で涙が止まらなくなりました。
 写真も選ぶことができなくて、投稿をさぼりました。今日はなんとか投稿します。
 時間がたってもなんにも変わらない。だんだんきつくなってきたな。
 飲めない酒飲んで明日に備えよう。みんな大好きだよ。

 警察官の大間さんは、最初の揺れのあと勤務先の珠洲警察署に向かうため、家を出て駐車場で車を出そうとしていました。
 その時起きた、2度目の長く激しい揺れで家の裏手から大規模な土砂崩れが発生。中にいた家族が巻き込まれたのです。
 直前まで一緒にいた家族との、突然の別れでした。

【全文お読みください】
前回の報道は4月末でした、5月~6月はこの件の報道が無く、地震発生・住民影響も落ち着いたのかと思っていました。
しかし、1月地震被害で奥様とお子さん3人、身内4人がお亡くなりになられたご主人(警察官)が日々お書きになっておられる投稿を拝読いたしました、この半年の投稿をNHKが記事にされたのです。
 

NHK事件記者 サイトに 証言 当事者たちの声 このサイトに記事がありました
 「どうして代わってあげられなかったんだろう」妻と子ども3人を失った警察官は (2024年2月1日)
 家族全員で過ごす久しぶりのお正月。
 「ことしも家族が安全で健康に過ごせますように」
 神社でいつもと変わらないお願いをしました。
 その数時間後の激しい揺れ。妻と子ども3人がいた家は目の前で土砂崩れに巻き込まれました。
 災害対応に向かおうと、家族のもとを離れた直後のことでした。
 「どんなに怖かっただろう。苦しかっただろう。どうして代わってあげられなかったんだろう」
【以下は部分引用】
 最初の揺れが襲ったのは、午後4時をすぎた頃でした。
 それでも、大間さんは勤務先の警察署に向かうため、支度を始めました。
 そして、駐車場から車を出そうとしているときでした。
 一度目とは比べものにならない、長く、激しい揺れ。震度6強の揺れを観測しました。

【全文お読みください】


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