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山梨県知事の贈収賄に関するニュースを読んだ時に、私は小沢一郎陸山会事件における東京第5検察審査会の問題を思い出した。

森ゆうこ議員や多くの市民、なかでも、『検察審査会の闇を追い続けてきた』「一市民が斬る!!」ブロガーさんによって、小沢一郎さんの検審起訴そのものが瓦解したと私は考えている。それは民主党現政権の正当性への疑問に至る。

「不起訴相当」議決に至った山梨県の検察審査会について、審査員選任から議決に至る過程を明確に示すことで、その議決の正当性が「担保」されると思う。(このように使われる「担保」って変な日本語だが、この場合他に用語を思い付かない)
山梨県内のマスメディア・ジャーナリズムはこんな事に手を出さないと思うが、「一市民が斬る!!」ブロガーさんのプロセスを精読することで、どこをどのように押していけば、甲府検察審査会の議決過程について納得できる答えが得られるか、分かると思う。
そもそも、県民が選出した首長の問題であるから、当該審査会の議決全文を審査会事務局が公開するべきで、メディアの垂れ流しで済ませるなら、そこに問題がある、とは思わないか?

外からとやかく言われるよりも、県内で県民自身が答えを見付けるしかないだろう。
小沢一郎さん検審起訴の時に、「国民目線による」検察審査会の議決の重さをさんざん語った人々が、甲府検察審査会の不起訴相当議決は軽く見て、知事の問題をとやかく言うことはおかしい、とは思わないのか。
とやかく言いたいなら、まず、山梨検察審査会のプロセスを確認してからにした方がよい。
もし、検察審査会を調べてボロが出た時に・・・・その結果を恐れ口をつぐむなら、ヤマナシも「NOだ」ということになる。
「不起訴相当議決」で司法的な決着はついたと理解しても、しかし、知事の「政治とカネ」の問題として政治的・道義的責任を追及し説明責任があるとするなら、県民としてもメディアとしても小沢一郎さんのケースと同じ扱いにすればよい。「政治とカネ」 「政治とカネ」とシツコク言い続ければよい。
そういう軸がブレると民主党幹事長の2004年のケースと同じになって幕引き。



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