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The Journal で2010年6月27日に平野貞夫さんの「日本一新運動」の原点(1)が出た。平野さんのお名前はこのサイトの記事から知っているし「小沢一郎」についてお書きになることが多いので、小沢さんの「政治とカネ」問題を考える時にも参考にしていた。既にこのブログで書いたように私は昨年来の問題については小沢さんに疑問は持っていない。しかし昔の事は知らないし角栄、金丸、竹下、小沢・・・私が嫌いな流れ中に位置づけたままだ。

ところが、これも The Journal から入って読んだ宮崎学さんの「清く」「正しく」「美しく」という基準 を読んで私の中で小沢嫌いの何かが吹っ切れそうな気がする。
宮崎さんは最後に書いている-『結論すると、「正義」の名の下で「不正義」が行われる現代社会の中で、今まで金科玉条のようにしてきた常識や基準をまず疑うことから始めよう……これが今回の参院選の私の「気分」である。』

平野さんは 『日本改造計画』(小沢一郎著・1993年5月)を、改めて読んでみた。人間の「生き方」について重要な記述がある。 と一部を引用し、『その思想の根っ子に、「個人の自立による真の民主主義の確立」と並んで「共生」という発想があった。』と導いている。

そんなら私と同じじゃないか。

私は自分に世間的な「常識」があるとは思っていないが「基準」は持っている、しかしそれは正義だ不正義だという言葉で計ろうとする基準では無い。そのプログラムで計画した通りにシステムが動くかという工学的に検証可能な基準であり、その前に、そのシステムの組み方がそういう検証可能なプログラムが動くシステムとして組まれているかどうかということ。

それを社会科学的にひろげて考えた時には、上記の言葉を使えば「個人の自立による真の民主主義の確立」(ネットワークの構成要素たり得る個人の確立)と「共生」(ネットワークを構成して個以上の機能を実現できるシステムの稼動)という「基準」に即して判断をしていると自分では思っている。

参院選で小沢一郎さんが何故山梨に来たのか、何故金丸信氏の墓参りをしたのか、それは今の私には謎としか言えない。思想をまっとうするためには民主党を選挙に勝たせる、その一点に絞り込んだ行動なのかも知れない。しかし、選挙に勝ったあとの小沢一郎さんは今度こそ自らの基準で進まれるのだろうか。

先日から気になってサーチしたり読んだりしている参院選の山梨争点「教育」に関する問題を、反論が未だ分からないから一方的に考えると、小沢一郎さんが確固たる日本改造の道に進みはじめたその時に、山梨県民主党では小沢一郎さんの同志たり得る人はおられないように思えてならない。
つい先日、些細な新聞記事から私が山梨民主党に感じた疑問は、解消していない。

中央集権による支配では無く、それぞれの地域における個の自立と共生、山梨では自然との共生も当然だと思う。それが可能なシステムが既に山梨に存在していて、それが先日から書いている「山梨の独自性」なのだろうか?

山梨県民主党とその支持者の方々が「教育」争点を含めて小沢思想への適合度を徹底的に自問自答し発信できないなら、小沢一郎さんが中心となる民主党の同志たり得ないように今は感じている。

また逆に、その時がきた時に小沢さんの方から山梨民主党は兎にも角にも既に自分の同志だと迎え入れるなら、私と小沢一郎さんの基準の違いを再検討することになるのかも知れない。平野論説や日本一新運動の今後に注意していきたいと思う。

「2010.06.26 KB976576 は更新されました」の最後でついでにコメントしておいた藤原和博さんのインタビュー記事がもうひとつ、宮崎学さんの記事と同じ Infoseek 内憂外患 にありましたのでメモしておきます。参院選】教育問題という名の「社会問題」を直視せよ~和田中元校長 藤原和博氏に訊く、この3~4ページ目で「学校支援地域本部」のことが語られていました。この全国システムが山梨でも構築されて別な名称になっているのか、それともシステムそのものが山梨独自なのかは興味が湧きました。時間がある時にでも調べみたいと思います。



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