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2010年6月20日の 読売新聞山梨版に「鳩山前首相ひっそり来県 輿石氏選対会議出席取りやめ」との記事が出ていた。昨日は朝日新聞の記事から「2010.06.19 山梨県民主党の体質に疑問?」を書いたので気になって開いてみた。朝日新聞が事前に書いた内容と大差無い、抜粋しておく---

当初はこの日甲府市内で開かれた輿石氏の陣営幹部らが集まる会議に出席する予定だったが、県連代表の後藤氏によると「企業などを回る時間の都合」で取りやめになったという。
しかし、輿石氏陣営からは、「鳩山さんは党の支持率低迷を招いた張本人。出席していても火に油を注ぐだけだろう」と冷ややかな声が聞こえる。別の県連幹部は「鳩山さんは輿石さんへのおわびで県内入りしたのでは」と語った。
今年1月、鳩山氏は山梨大燃料電池ナノ材料研究センターの視察に首相就任後初めて来県した際に輿石氏の国政報告会に出席し、「党が一致結束しているのは輿石会長のおかげ」とあいさつしていた。
輿石氏は、小沢一郎前幹事長も参加した3者会談で、鳩山氏に進退の判断を迫ったとされる。

事実はどうあれ、後藤さんは紳士の言葉だと思った。その他の人々の言は江戸っ子の癇に障る、べらぼうめ!
あの時、来日して田中角栄さんを表敬訪問した中国要人のことを私は感心した。「今の立場がどうであれ、井戸を掘った人を忘れません」、その人は言ったと報じられたように記憶している。とても良い言葉だと思ったので記憶に残っているのだ。

自らの地位を保全し選挙に勝つためならなんでもありという姿勢は、いざというときに国民を捨てて逃げ出した関東軍に通じるだろう。菅直人政権下の民主党が沖縄を見捨て消費税10%を言い出したような転向にはそれが如実に現われてしまったのだろう。私は転向を悪いとは考えていない、君子は豹変しても豹である、だが、虎の威を借る狐に豹変は無い。ネズミやゴキブリが獅子の皮をかぶっている姿は醜い。

私の脳細胞は理屈じゃなく山梨民主を受けつけなくなりかけているが、インターネット情報は読み続けよう、新聞だけが正確なソースだとは思っていない。
都市型市民として民主党支持な私が山梨でも民主で良いと判断できる情報が何処かにあるかも知れない。 『右も左もぶっ飛ばせ、オレこそが「民」「主」だ!』 と吠える人がどこかにいるかも知れない。

この記事をアップロードしてから気が付いたが、地元の山梨日日新聞も「鳩山前首相が県内入り 輿石氏支援を訴え」との記事を出していた。おいおい、なんだよ、この中味は(^o^)


【2010年7月10日深夜】 この記事は「2010.06.19 山梨県民主党の体質に疑問?」の続きのつもりで書いたのですが、上掲の新聞記事などからテーマを変更して書いたのでお蔵入りにしていたものです。明日には参院選の結果が出ますが、その過程で自分が何を考えていたかをブログに残しておくつもりで、ここに追記として掲載することにしました。予定していたタイトルは「今のままの民主党で大丈夫なの?」

Webページの内部で使われているスクリプト(プログラム)を見た時に、その機能、動作を解読するまでに手間がかかる、解読を諦めたくなるような書き方がされているものもあります。私が今の民主党から感じていることはそれと同じなのです。
前の記事の最後に、万人の万人による万人のための最小不幸社会に向かうベクトルを、どういう具体的な力(政策)の合計で示せるか、それが政党・政治家を選択するひとつの要因ですと書きました。民主党のベクトルが私には未だ理解が難しいのです。
特に山梨県民主党については、直感的な印象としては、都市型市民としての私が頭に描いていた民主党とは違います。それだけに興味深くもあり、なんとか解読してみたいとも思います・・・・それでブログ村では山梨情報にリンクしておきます。

私は菅直人さんの名前は昔から知っています。市民運動家としての名前に記憶があります。政界入りしたことはマスコミ情報(当時は新聞紙)から知りましたが、政治にはあまり関心も無く、厚生大臣として活躍された時にあぁあの菅直人さんかと思い出した程度です。こんなときはWikipedia(菅直人)に頼るしかないが・・・

実は以前にここでも書いた植草一秀さんのブログ、『知られざる真実』 の論調が変わってきたように思えるのです。2010年6月18日の記事は「菅政権の超緊縮財政政策が日本経済を破壊する」と題されています。
『国民生活を最優先する政権が総辞職し、米国、官僚、大資本と癒着する新政権が民主党内クーデターにより樹立された。この菅新政権が財務省主導の財政再建原理主義に基づく暴走を開始した。』
この内容を理解できるだけの知識は私にはありませんが、植草一秀さんは昔テレビ東京などの経済番組から知っていた経済学者なので、この論説でポイントだと感じた個所を残しておきます。

経済を回復させ、政府支出の無駄を排除する。増税などの増収措置は最後に発動すべき施策なのだ。増税で景気が良くなることはあり得ない。増税で景気が悪化すれば、財政収支は良くなるどころか悪化する。
政府支出が追加される領域で、当該分野の成長が促されるのは当たり前の話だ。これを成長戦略と呼ぶことはできない。一国経済の国際経済における分業のあり方の変化に伴い、成長分野は変化する。
かつて、日本が輸出で成長を実現した時代は、製造業が成長のけん引役だった。これからの日本では、医療、介護、養護などの分野の成長が拡大するのは当然のことである。
財政の健全化、経済成長の実現、持続可能な安定した社会保障制度の確立は、いずれも重要課題だが、緊縮財政でこれらが実現するわけではない。
「強い経済、強い財政、強い社会保障」の言葉は正論だが、この言葉には、その実現のための具体的方法はまったく含まれていない。問題は、この課題をどのようなプロセスで実現するのかである。

『言葉は正論だが問題は課題をどのようなプロセスで実現するのかである』、こういう考え方って大切だと私は思っています。私は甲府市行政のテーマを調べているうちに「公共事業」とか「補助金」という言葉が使われる事業運営のシステムがだんだん嫌いになってきています、こういう単語を見ると眉に唾をつける習慣が脳内に定着してきた・・・(^o^)

官僚の無駄遣い仕分けも不十分、地域主権がどういう方向に進むのかもわからないような状況の中で、消費税10%を言い出した菅直人さんの政策ベクトルが予想外の方向に転換する危険性を感じなくもないのです。

参議院民主党に多数を与えないことで実現プロセスが勘違いされている政策のブレーキになる可能性を残すべきです。

民主主義とは多数決だと突き進むだけの人々に絶対多数を与えることほど危険なものはありません。私は決してアンチ民主党ではありませんが、現状をみていると内部構成はあまりに多くの色が入り交じっていて今の民主党の本当の色は何なのか、何色を目指しているのか、政治政策思想の統一感が欠けていると感じています。

7月参院選挙で民主党の議席が減り、それによる衆参のネジレから国民の信を問うべく衆院解散-総選挙となる時に、国民がもう一度よく考えれば二大政党制が初めてまともな姿として見えてくるかも知れないと感じつつあります・・・・



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