妙正寺のある横大路には、加古川を代表する工場の一つである稲岡工業があった。
稲岡工業の説明を少ししておきたい。
稲岡工業
稲岡工業は、現在の加古川市域やその周辺は江戸時代から木綿の生産が盛んだったが、産業の近代化とともに木綿業は危機に直面した。
窮状を打破しようと、創業者の稲岡久平が木綿の加工品としてタオルに着目。調査・研究を重ねて1891(明治24)年に生産を開始した。
海外輸出や、中国にも工場を展開し。戦後も最新鋭技術を積極的に導入。百貨店向けの高級品が好調だった1991年には売上高26億円を計上した。
しかし、バブル崩壊後は、中国を中心とするアジア製品の安値攻勢と国内の消費不振で業績が悪化。
2008年2月に民事再生法の適応を申請して経営破綻した。
先日、稲岡工業に残された史料の調査に出かけました。
その中に、「社史の原稿の一部」と思えるものがあり、それに集団疎開の記述があったので紹介しておきたい。
稲岡工業のお風呂にも入りました
昭和十九年九月には神戸市より神戸国民学校児童約100人が、工場に近い妙正寺と横大路公会堂に集団疎開をしてきた。
当店では寄宿舎の風呂を時々開放して、疎開児童を入浴させた。
また、広い荷造場を開放して従業員の素人芝居演芸会を行い、疎開児童に観劇させた。
この素人演芸会は産業戦士慰問という目的もあった。
また、社長は物資不足の中、菓子等を調達して疎開児童全員に分け与えた。
*写真:稲岡工業
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます