双石仏と四尊石仏残欠
前号と同じ敷地内にある地蔵堂の隣の地蔵堂の石仏を訪ねます。
二基の石仏があります。
左側の石仏(写真上)には、高さ50cm・幅53cmで立像(地蔵)と坐像(阿弥陀)が彫られています。
右側一基(写真下)には、高さ約63cm・幅53cmの石棺に四体の阿弥陀坐像が彫られています。
これらの石仏について、説明板(加古川市教育委員会)を読んでおきます。
・・・堂内にある二面の石仏も石棺の側石にそれぞれ仏像を彫ったもので、一面は阿弥陀像と地蔵、もう一つには阿弥陀三体(欠けたた部分に一体があり、本来は四体)が彫られており、造られたのは二面とも南北朝から室町初期と思われます・・・
説明板にあるように、これらの石仏は、隣の地蔵堂の四体石仏も含めて、全て一枚の石板に数体の仏像を刻んだ石棺仏です。
この特色を持つ石仏は平荘町に多く分布しており、この地域の特色です。
養老の地蔵堂の石仏たちは、近くで見つかった仏たちを寄せ集めたようです。
一時は橋に利用されたり、長い間忘れ去られたりで、数奇な運命をたどっているようです。
現在、養老の石仏たちは地域の人々に見守られています。
〈余話〉
かつて、これらの石仏は「中村の地蔵様」として親しまれていた。
明治10年12月、中村と芝村が合併して新しい村「養老」が誕生しました。
命名にあたり芝村の有力者・滝氏にちなんで養老としました。(no4875)
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