ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

別府町新野辺探訪(2):明細帳②、水損の村・風損の村   

2009-08-09 08:12:52 |  ・加古川市別府町新野辺

 風損の村・水損の村

566b6a04_2  新野辺村は、海辺の村で汐風の害、旱害の多いところであることは想像することができる。

 寛延三年(1750)当時の風景を想像して欲しい。

神戸製鋼のある場所は、金沢新田であるが、寛延三年(1750)当時金沢新田はまだなかった。

もっとも、松林が汐風を防いでいたが、浜街道のすぐ南は海であり、汐風の影響は大きかったと想像される。

 明細帳は、右のように書いている。

(解読)

一、   当村田畑之儀海辺ニ而御座候ニ付汐風吹上ケ風損多ク

場所ニ御座候田地之儀ハ第一水損場ニ而御座候

(文意)

「当村(新野辺村)の田畑は海辺に近く潮風が吹き上げ風の害も多い所で、

そして、田の水が得にくい場所である」

 田の水であるが、新野辺村は五ヶ井の村(五ケ井郷)ではない。

 そのため、五ケ井の豊かな水も、毎年決まって新野辺村までは来る保証がなかった。

  新野辺村はあくまで五ヶ井用水のあまり水をもらっている。

 雨の少ない年は、減らされる。水の届かない年もあった。

 そうでなくても、田植えの時、五カ井の水は最後に新野辺村に流れ来た。

 田植が遅れないように、新野辺村はいろいろ工夫もした。

 五ヶ井用水と新野辺村については、後に取りあげたい。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 別府町新野辺探訪(1):明... | トップ | 別府町新野辺探訪:(3)明... »

コメントを投稿