超大型石棺
平荘湖の湖底の中ほどに、かつて稚児ヶ窟古墳(ちごがくつこふん)と呼ばれた池尻16号墳がありました。
その外にも多くの古墳が、平荘湖の建設に伴い水没しました。
稚児ヶ窟古墳の石棺は、市内最大の石棺で、蓋と身がそろうめずらしい例です。
身(写真)は、志方町投松(ねじまつ)の公会堂の庭に置かれています。
長さ228㌢、幅142㌢、高さ95㌢の超大型の石棺です。
石棺の前に立つと、その大きさに圧倒されます。
この石棺に身の部分について、石棺の横に次の加古川市教育委員会の説明があります。
<石棺の身>
この石棺の身は、かつて平荘ダムに水没した、稚児ヶ窟古墳にあったものを姫路藩主、榊原式部太夫が泉水に使うため運ぼうとしたが、重くて投松峠に放置したという記録がある。
昭和11年、県道拡張の時、ここに運んできたと言われています。
昭和11年・投松へ運ぶ
この石棺について池本寅男氏は『志方郷(第16号)』に、おもしろいエピソードを寄せておられますので紹介します。
「・・・この大きな石棺は、姫路藩城主の榊原式部大輔の所望により、投松峠まで持ってこられてから約280年余り、道端の土の中に埋っていた。
昭和11年の県の拡張工事中に、裏向きの状態で発見された。
初めは、何か宝物でも入っているかも知れないと、みんな緊張したが、掘り進むにつれ、何もないことがわかり、がっかりして一度に力が抜けてしまったとのことである。
小畑町内会(加古川市平荘町)とも話し合い、当村(投松)が引き取ることになり、村中総出でコロを並べ、その上を移動させることにした。・・・」
なお、この蓋は、平荘湖畔の弁天社の広場に置かれていますので見学ください。
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