志方町を東西に貫通した、湯ノ山街道を歩いてみました。でも、再現できませんでした。
いろいろご存知の方は一報ください。
このあたりで、次の話題へ移りたいのですが、投松に来ていますので、「投松」の話題を少し取り上げましょう。
投 松
投松は、加古川市内でも最も読方の難しい地名でしょう。
「加古川検定」に出題されるかもしれません。先に、問題をつくっておきます。
問題 次の志方町にある地名「投松」の読み方次のどれでしょうか。
① なげまつ ② ねじまつ ③ とうしょう
答は、「ねじまつ」です。「投松」の呼称について、『志方町誌』は次のように書いています。
・・・むかしは、「ねじりまつ」といったが、のち「ねじまつ」になったという。
この「ねじ松」と言う名は、平荘との村境の街道ばたに、ねじり松の大木があったので、それに因んでつけたものである・・・
村境を示す榜示石(ぼうじいし)を「投げ石」と呼ぶ例がある。「投松」の「投」はこんなところにルーツがあるのかもしれません。
『志方町誌』にあるように、「村境を示す松の大木が、後に盆栽のように捻って育った」と考えるのが自然でしょう。
もうひとつの投松
ことは簡単ではありません。東志方町大沢に「投松」という字(あざ)がり、こちらは「なげまつ」と読んでいます。
もとは「捩り松(ねじりまつ)」
話を志方町の投げ松に話をもどします。
池本寅男氏は『志方郷(第21号)』に、次のような一文を寄せておられます。
一部分をお借りします。
「・・・以前は捩松、捻松村と記されている文献も多くあり、投松と書いた一番古い記録は、寛永六年(1629)である。
投松文字を使うようになった理由がはっきりしない。・・・・
昔の文書は行書・草書が多かったので、書き誤りではなかったかと思う・・・」
池本氏の解釈を読んで「案外、そんなところが真実かもしれない・・」と思えてきました。
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