連休に続き、私用でブログをしばらく休んでしまいました。復活させます。
平荘町磐の続きです。
『印南郡史』から引用したい。(書き直しています)
・・・・磐村は、もと寺谷・蔭山の二村であったが、明治11年10月合併して一村となった。
村の名・磐(いわお)は、村の北一帯につながる紅岩(べにいわ・写真)にちなみ磐村とした。
(中略)寺谷村(現:東磐)の開発について、岸本家の過去帖には次のようにある。
・・・・岸本市右衛門源與は天正13年(1585)3月25日生まれで、・・・・慶長11年(1606)、見土呂村に来て、同14年から16年の間、寺谷(西磐)の地の水の状況を調査し、同17年(1612)3月のはじめ28歳で当村を開発した。
なお、『印南郡史』には、「寺谷村と名づけたのは、この地に報恩寺の一院があった。
地名に“寺所口”を言うところが残っているが村の名は、これによるものか?
岸本市右衛門は、寛永9年正月の22日49才で没した」と書いている。
寺谷新村は、「寺」に捉われた説話で、地名のテラは「平らな土地」と言う意味が多い。
田畑の可能な平らな谷間の村という意味であろう。
*『古地名新解』(石見完次著)・『印南郡歴(前編)』参照
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