ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

上荘町・平荘町探訪:寺谷新村(現:東磐)

2009-05-18 13:43:54 |  ・加古川市上荘・平荘町

Taira_261_2 連休に続き、私用でブログをしばらく休んでしまいました。復活させます。

 平荘町磐の続きです。

 『印南郡史』から引用したい。(書き直しています)

 ・・・・磐村は、もと寺谷・蔭山の二村であったが、明治11年10月合併して一村となった。

 村の名・磐(いわお)は、村の北一帯につながる紅岩(べにいわ・写真)にちなみ磐村とした。

 (中略)寺谷村(現:東磐)の開発について、岸本家の過去帖には次のようにある。

 ・・・・岸本市右衛門源與は天正13年(1585)3月25日生まれで、・・・・慶長11年(1606)、見土呂村に来て、同14年から16年の間、寺谷(西磐)の地の水の状況を調査し、同17年(1612)3月のはじめ28歳で当村を開発した。

 なお、『印南郡史』には、「寺谷村と名づけたのは、この地に報恩寺の一院があった。

 地名に“寺所口”を言うところが残っているが村の名は、これによるものか?

 岸本市右衛門は、寛永9年正月の22日49才で没した」と書いている。

 寺谷新村は、「寺」に捉われた説話で、地名のテラは「平らな土地」と言う意味が多い。

 田畑の可能な平らな谷間の村という意味であろう。

*『古地名新解』(石見完次著)・『印南郡歴(前編)』参照

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