国鉄(JR)の電化は市民の願いであった。
昭和26年9月30日、「加古川勤労通勤者の会」が市長・市会議員・加古川市駅長等が参加し、市役所(現:加古川公民館で集まり、次のような決議をした。
・・・西明石~姫路間の鉄道乗車の激増により、通勤時の混乱は、終戦当時に近似。産業能率の低下は、甚大なるものがあり、我らは国鉄電車化により一日も早く解決されるように実現を要望する・・・
その後も猛烈な運動が展開され、昭和31年、ようやく電化工事が始まった。そして、昭和33年2月27日待望の試運転車が走った。
この時、まだ東加古川駅はなかった。東加古川駅が新設されるのは、昭和36年10月1日である。
東加古川の新設以後、平岡町の人口はまさに「うなりのぼり」の状態で増加し、辺りの風景は一変した。
*写真上は、電化完成を祝う加古川駅、下は開業した国鉄(JR)東加古川駅。共に『加古川市議会史』より。
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