「平岡探訪」を再開したい。今日は、歴史教科書でおなじみのシーボルトの話です。
ドイツの医学者で博物学者であったシーボルトは、文政6年(1823)、長崎の出島の商館医師として日本に赴任した。
文政9年、出島商館長に随行して、江戸参府の旅行をしている。143日間の旅行であった。その時、シーボルトは、日記『江戸参府紀行』を書いている。
一行が下関から船で出発したのは3月1日で、室津には、7日に入港した。
一行は姫路で宿泊し、10日、朝9時に姫路を出発し、高砂・曽根を見学し、その日は加古川町で宿泊した。*この時のようすは後日、「加古川探訪」で、後日紹介の予定。
『江戸参府紀行』の一部を読んでみたい。
「・・・三月十一日、好天に恵まれ、われわれは六時に加古川をあとにした。我々の眼前には広々とした平野がつづき、皆米が作られていた。ただ若干の畑には、小麦や大麦などのほかの穀物が植えてあった。・・・・
われわれは西谷(現:加古川市平岡町西谷)で休む。ここから先へ行く道々、いくつかの池を見た。それは水田の灌漑のために、人力をもって自然に挑戦で作ったものであって心地よい松の森をめぐらしてある。・・・・」
*写真は晩年のシーボルト
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