ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

永田耕衣の風景(3) 今福(耕衣の故郷)の風景(1)

2017-01-07 09:29:05 | 永田耕衣の風景

 日本人の平均寿命は、男:79.00才、女:85.81才(平成18年)です。

 「老後を、いかに生き生きといきるか」という課題は、緊急なテーマとなっています。

     今福の風景

 耕衣の老後は、まさにピカピカの人生でした。

 耕衣は、明治33年2月21日、今福で誕生しました。

 もちろん、耕衣は俳句の世界で、すばらしい業績を残されているのですが、彼の生き方はユニークで、現代の高齢者社会において、老後の人生のモデルのようです。

 先に紹介したように城山三郎さんは、耕衣の業績と、生き方に感銘し、小説『部長の大晩年』(朝日新聞社)で紹介しました。

 城山氏は、小説を書くにあたり今福を取材されています。

    昔の今福(加古川市尾上町)

 ふるさと(今福)は、心の風景としてその後の彼に大きな影響を与えています。

 取材されたのでしょう。城山三郎氏は、小説で小学生の頃(明治時代の終わり頃)の今福(村)を次のように描いています。

 

 「・・・(今福は)加古川の豊かな水を引き込んだ水路には、鮒、泥鰌(どじょう)、鯰(なまず)などが多く、林蔵(父)が鯰を好むので耕衣は特に鯰を狙った。

 岸辺の水草や藻をつついて追いかけたのを、タモですくったり、小さな蛙を縛りつけて針でつりあげたり。

 ・・・

 初夏には蛍が特に多いところで、無数の蛍が群れて、いくつもの光の玉、光の雲のようになり、輪を描きながら、夜空を低く舞う。・・・・」

 明治の終わりのころの今福を「蛍の里」として描いておられます。(no3342)

 *挿絵:子供のころ

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