植え付けができません
今年(文化八年・1811)は、春より雨が多く、原村の大池の水かさがふえ、堤防を超えるまでになりました。
大池の上にある山中新村池尻の九反余りが水につかり植え付けができず難儀しております。
大庄屋の仲立ちで「水を原村へ流してください」と原村庄屋へ申し出ましたが話し合いはまとまりませんでした。
そのため、ご代官様へも申し上げました。
返事がありません。
五月一日より五日までの大霖雨(長雨)のため、ますます植えつけもできずになりました。
五月一日・二日・三日と続いて雨。
四日は少し晴れましたが五日はまた大雨。
その後、七日・八日・九日と大雨が続きました。
十日になってやっと晴になり、十一日も晴れになりました。
原村への申し入れ
『大庄屋日記』には、「中山新村の田畑が水につかり困っていますので、水を原村の方へ流してください」と大庄屋を通じて申し入れています。
その後の結果はわかりませんが、この時点で話し合いはまとまっていません。
原村の方でも、おそらく田畑が水をかぶり、これ以上の水があれば植え付けができず収穫は見込まれない状態だったのでしょう。
それにしても、少しの天候不順で農民の生活は脅かされました。
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『大庄屋日記』には、このほかに天気についての記述がしばしば登場します。
が、次回からは「村方事件簿」と題して村での出来事を取り上げることにします。
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