ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

志方町を歩く(153):大庄屋日記⑥・村の事件簿(1)、センの指が飛ぶ

2011-11-18 17:49:38 |  ・加古川市西志方

江戸時代農村は大きな変化もない毎日が過ぎていくように思われますが、旱魃・長雨・年貢の取り立てなどで村中が大騒動になることもしばしばありました。

それに、ときどき教科書・歴史書では紹介されない思いもよらぬ事件も発生しています。

ここでは、そんな村の事件を「村の事件簿」として紹介しましょう。

今日はその①、「センの一件」です。

    指が飛ぶ

37c1f0c0文化六年1809三月十九日のことでした。

成井村(なるい村・西志方)の喜兵衛にはセンという娘がいました。

同村の秀八はセンを撲りつけたのです。

申し出があり、さっそく検分に出かけましたところ、こともあろうにセンの左の手の指三本が剃刀で切られ飛ばされていました。

そこで、さっそく比室(ひむろ)・原村の庄屋へとりまとめを申しつけました。

    秀八・嘉一郎は謹慎

四月四日、この件に関して代官様からお呼び出しがあり、秀八とこの事件にかかわり合いのある同村の嘉一郎が庄屋・組頭に連れられて代官所へ出頭しました。

代官所では「氷室と原村の庄屋が解決をしましたので、そのようにさせてください。

取り纏めを覆しては、今までの取りまとめが無駄になります。

それに、代官所から更におとがめがあれば二重・三重となります。

なにとぞ、私どものとり纏め(まとめ)のようにさせてください」と申し上げました。

代官様は、大庄屋に厳しく申しつけるように仰せつけられました。

六月二日に秀八と利右衛門の弟・嘉一郎両人を押込(謹慎)としました。

・・・・

この事件については、秀八がなぜセンを撲りつけたのか、そして指を飛ばしたのかの原因はわかりません。

そして、氷室・原の庄屋は、この一件をどのように決着させたのかもはっきりしません。

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