ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

八幡町探訪:亀の井用水

2007-04-06 10:31:22 |  ・加古川市八幡町

_412   国包(くにかね・加古川市上荘町)は、5日も日照が続くと、ツルベで朝夕灌漑をしなければならず、他の村から嫁入りが嫌われていたという。

  そんな窮状を救うため、文化13年(1816)、畑平左衛門が美嚢川(みのがわ・三木市)が加古川に出る手前から取水するために堰をつくった。

  この用水は、国包村、船町それに宗佐村の畑地を潤し、水田化するためのものだった。

  井堰の構造が割石を亀の背中のように丸く積み上げたっことから、堰は「亀の井堰」、用水は「亀の井用水」と呼ばれるようになったという。

 3c360966_1                              現在、石組みはなくなり、写真のようにコンクリートの堰に変わっている。

  取水方法も変わった。

  上の堰の写真を見て欲しい。

  堰の手前に説明板がある。ここに上記のような説明がある。

  一度訪ねて欲しい。

  なお、国包は上荘町ではあるが、八幡町に含めて紹介した。

*『兵庫のため池誌』(兵庫県農林水産部農地整備課)参照

 写真上:亀の井堰、下:赤く塗った所が亀の井用水の受益地域

  

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