ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

八幡町探訪:大家(本岡家)

2007-04-07 09:18:45 |  ・加古川市八幡町

_421   八幡町下村に大家(おおや)という、近在に知られた旧家があった。

  一目で分かる杉の生垣のある大きな家であった。

  大家は、元禄7年(1694)に建てられたもので、江戸時代前期の住宅構造を知る上で貴重な建築で、「県指定文化財」に指定されている。

  八代当主の本岡嘉平治の時、大工船町八左衛門が建てた、と棟札に記されている。

  大家(本岡家)には、当時の農家にしてはめずらしい平書院、長押などが配置されている。

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  土間(写真下)は、竹の簀子(すのこ)天井で豪快な梁が縦横にとおり、上が「つし」である。

  (つし・・農家で天井や屋根の下につくった物置部屋)

  本岡家は、「元、越中・越前に所領を持った武士であったが、同地方に猛威をふるった一揆の鎮圧に失敗し、帰農を決意し、姻戚の野村城主(八幡城野村)をたよって、わずかな郎党とともに、この地に落ちのびた」と伝えられている。

  四代当主、本岡治兵衛は、万治元年(1658)上西条・喜平次、中西条・才兵衛とともに、印南野の開発に当たった。

  寛文元年(1661)、藩の許可を受け、近郷の住民を指導し、ついに百十一町歩あまりを開拓した。

  現在、大家(本岡家)は保存のため、加古川少年自然の家のキャンプ場の奥に移築されている。

  *『ふるさと・やはた』(加古川農業改良普及所)、『加古川市史(第七巻)』参照

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