昨日のブログで、文政6年(1823)姫路藩の江戸への木綿専売が認められたことを書いた。
右の図は天保7年、姫路藩の大阪や江戸積問屋へ売り渡す木綿の生産地問屋の所在を表している。
ほとんどが加古郡・印南郡内に位置している。中でもその大半は、現在の加古川市域に含まれている。
木綿のほとんどが、加古川地域で生産されていたのである。
木綿を生産した農民は糸にし、反物に織った。木綿商人がそれを買い集め、生産地問屋から、姫路城下の江戸積問屋や大阪積問屋(一部、大阪積も認められていた)へ売り渡された。
図の21~23の生産地木綿問屋のあった場所に注目して欲しい。いずれも、都染で、それも大西家の一族である。こんな例は、他にない。
鑑札をもって商売することは、競争相手が少なく安定した経営ができた。その上、大西家は一族4軒がその権利を持っていたのである。
大西家は、この近辺では、跳びぬた、大き木綿の生産地問屋であった。
*図は「加古川市史(第二巻)」より
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