Aの用水は、淡河川から練部屋を経て流れてきた用水である。
矢印のところに平木橋があり、最後に平木池に流れ込んだ。
緑色の用水は、寛文四年(1664)に完成した青之井用水である。
青之井用水は、曇川から皿池(中央の黒い大きな池)に入り、更に先に流れ近隣の田畑を潤した。
赤色の用水に注目して欲しい。青之井用水から分かれた高堀り溝である。
高掘り溝は、平木橋の下をとおり、更に南の戸ヶ池に流れ、野口の北部の池に続いた。
皿池のある場所の標高は、約22メートルで、平木橋の辺りは標高約27メートルである。
戸ヶ池の辺りは、約22メートルである。
平木橋辺りの土地が壁のように立ちはだかり、水は流れない。
百姓は、そこに溝を掘った。これが高掘り溝である。
注意が要る。
「高掘り溝」とは、高いところを掘った溝の意味ではない。
高掘り溝は、村高(生産高)に応じた課役によって工事をした溝の意味である。
当時、石守村(神野町)が600石、水足村(野口町)が644石であったので、この割合で工事の負担をしてできた堀、という意味である。
現在、平木橋は東播南北道路の建設により取り壊される運命にあったが、各方面の努力により近くの池に移築されることになった。
しかし、高堀り溝・青之井用水・平木橋をセットで考える時やはり、元あった場所に保存して欲しい気持ちが残る。
貴重な歴史遺産である。
*『水足史誌』(水足町内会)参照
挿絵は、北条正氏が数年前に他の冊子のために書いてくださったものである。今年、癌で亡くなられた。ご冥福をお祈りいたします。
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