ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

神野町探訪:松岡青蘿 in 福沢

2007-10-04 10:11:24 |  ・加古川市神野町

098   芭蕉の没後、播磨地方には芭蕉を敬慕する数多くの俳諧師が、きらぼしのごとく輩出した。

  松岡青蘿(まつおかせいら)もその一人で、蕪村などとともに「芭蕉中興の六人」に数えられている。

  青蘿は身持ち不慎のため、23才の時、姫路から追放された。

  身持ち不慎の理由は、賭博とも言われている。

  その後、諸国を遍歴し、好きな俳諧の修業をつんで、明和四年(1767)播州にもどったが、姫路には入れてもらえなかった。

  そのため、加古川の大庄屋・中谷家の庇護のもとに居を構えた。

  これが、栗本庵(幽松庵)である。

099   明和五年(1768)、加古郡福沢新村(現:神野町石守)の善証寺(写真下)の元へ参禅し、剃髪した。

 *善証寺・・寛永四年(1627)創設

  その日は芭蕉忌だった。

  「青蘿」は、その時、和尚から授けられた俳号である。

   けふよりは 頭巾の恩も 知る身かな

  これは、この時の句である。

  福沢の善証寺のそばに、この青蘿の句碑(写真上)がある。

  句碑は、昭和57年8月建立された。

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