ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

瀧瓢水物語(11) 瓢水の父(仲春)、母(参)の墓標(3) ・母(参)は、母神

2016-10-10 08:27:04 | 瀧瓢水物語

   瓢水の父(仲春)、母(参)の墓標(3)

       瓢水の母(参)は、母神

 前号で、瓢水のお母さんの墓標(今回と同じ写真)を紹介しました。

 現在、お父さん・お母さんの墓標は、西町の墓地の中央部にある瀧家の墓所ではなく、少し離れて、同墓地の南東隅あたりに置かれています。

 今回と次回は、瓢水のお母さん(参)の墓標を調べてみます。

 墓標は砂岩の笠塔婆(かさとうば)で、中央に割れた跡がくっきり残り、文字等もかなり傷んでいます。

 まず、墓標の文字を読んでおきましょう。

 現在、左側面の文字は他の墓標のために読めませんが、さいわい以前に郷土史家の木戸正氏が書き写されていますので、お借りします。

 (正面) 

  癸享保十八年丑七月廿九日

     勝林栄舜之墓 (*瓢水の母参の戒名)

 (右側面)

  母神成孀不妍四十余歳不出外在乎内守

  節忌享楽、不聞淫聲後世以我母為主矣

 (左側面)

  一代新右衛門元春

   二代与一右衛門清春

    三代新右衛門仲春之妻

    姓三木福田与六郎娘名参

     四代目新右衛門恒春建之

 仏は、三代目新右衛門仲春の妻で瓢水のお母さんです。

 (注)瓢水は四代目とされるのですが、瓢水の名前として「恒春」の名前は記録に出てきません。そのため『加古川市の文化財』は、五代目が瓢水としています。何か事情があったのかもしれませんが、恒春は四代瓢水のこととしておきます。

 お母さんは、三木町の福田与六郎の娘で名前を参(さん)といいました。

 この墓を建てたのは四代目「新右衛門恒春」です。

 恒春については次号で考えます。

     母は母神

 右側面の文章は、少し難しい文字が使われていますので一緒に読むことにします。

 まず、単語の意味を調べておきます。

 ・成孀(やもめ)   独身

 ・不妍(ふげん)   化粧をしないこと

 ・淫聲(いんせい)  みだらな音楽

 意味は「母はヤモメとなり、化粧もせず、四十年間外出することなく、内にあって節操を守っています。

 享楽を避け、みだらな音楽を口にすることもなく、聞くことすらしませんでした。

 母こそ、ひたすらに一家の主人として、瀧家を守った母神様です。(no3359)

 *『ふるさとの文化遺産(第二巻)』参照

 

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