ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

お爺さんが語る郷土の歴史(32) 古墳時代(8)、行者塚古墳(2)・朝鮮半島南部とのつながり

2017-11-28 08:24:43 | お爺さんが語る郷土の歴史

      朝鮮半島南部とのつながり

 行者塚古墳からたくさんの遺物が発掘されています。

 そのうち、前回紹介した帯金具は中国・晋(しん)の時代のもので、朝鮮半島の金海(朝鮮南部)から伝えられたと考えられています。

 中国大陸のものが交易により朝鮮に渡り、それが日本へ交易により伝えられたのでしょう。

 その他、多くの種類の遺物があります。

 巴型銅器(写真)は、新羅の慶州・釜山の金海あたりの古墳でも発見されています。

 それに、馬具なども朝鮮南部製と考えられています。

 そのほか、鉄鋌(てってい・鉄の板がね)等が発見されていますが、それらは朝鮮半島南部のものと思われます。

 今後、鉄の成分分析が行われると、さらに、詳しく生産地等が特定されることでしょう。

 つまり、行者塚古墳の遺物は大陸の、特に朝鮮半島南部の香りをいっぱい詰め込んだ古代のタイムカプセルです。

 それでは、行者塚古墳の築かれた時代、行者塚古墳の被葬者はどんな人物なのでしょうか。

  次回、考えてみます。(no3795)

  *『開かれた古墳時代のカプセル(記録集)』(加古川市教育委員会)参照

  *写真:巴型銅器

  ◇きのう(11/27)の散歩(10.906歩)

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