ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

志方町を歩く(265):長楽寺(30)・語り続けましょう、長楽寺のことを

2012-03-31 10:54:42 |  ・加古川市志方全般

私ごとで申し訳ありません。

私は西志方小学校の北東隅にあった幼稚園の卒園です。

そして、小学校の1年生の12月に加古川小学校へ転校しましたから、昭和25年の夏だったと思います。

小学校から長楽寺と道路の間にあった施設で一泊の林間学校がありました。

どんなプログラムであったのか、全く覚えていません。

学校の校舎とよく似ていた施設であったようです。

もうひとつ覚えています。

なぜか、西志方小学校の校章のある窓ガラスが数枚ありました。

小学校の古くなった窓ガラスの再利用だったのでしょうか。

もっとも、小学校の1年生の時で、今から60年以上も前の記憶ですから自信が持てません。

   無関心でした

Photo_2とにかく、私と長楽寺の関係は、ことしの2月まではそれだけでした。

昨年の94日、長楽寺が土砂でつぶれたことは新聞で知っていました。

でも無関心でした。

ブログで志方町を取り上げ、西志方を歩いている時でした。

原の仏性寺で取材した後、大藤山を見たんです。

ぱっくりとY字型に山肌がえぐられている風景が飛び込んできました。

「これは大変だ」と、その足で長楽寺へ出かけました。

お墓が修理されていました。

その時は、こっそりと数枚写真を撮っただけです。

   語り続けることの大切さ!

その夜、「いま、長楽寺を取り上げないで、何が地域史なんだ・・・」と思い、長楽寺さんへも何度か寄せていただきました。

今できることは、「広くこの事実を知らせ、広める」ことだと考え、とりあえずブログで長楽寺のことを書き始めました。

いつもより、少しではありますがアクセスが多かったようです。

しかし、長楽寺さんについては俄か勉強であったため不正確なこと、不適切な表現も多くあったことをお詫びします。

いったん「長楽寺」についての報告はお休みして、少し勉強してみます。

そして、長楽寺について、支援活動を含めて後日再開させたいと考えています。

 尚、今日の神戸新聞の朝刊に、「1000年の森をつくろう」の署名が林野庁に提出されたニュースが大きく報道されています。

*写真:長楽寺HPより

◇お詫びとお知らせ◇

ブログをお読みいただきありがとうございます。

4月は私用のためこのブログをお休みにします。ブログを始めて以来1ヵ月も休刊にすることは初めてです。再開できるか心配です。

ですから、「51日の再開」を宣言して、自分を縛っておきます。

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