ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

稲美町探訪(440):加古を歩く(91)・コウシンさん

2011-03-11 08:16:33 |  ・稲美町加古

010_3  中新田の公会堂がある場所へ出かけました。

『稲美町史』を読むと、公民館地内に、観音堂があり「本尊 如意輪観音、郡西国第七番霊場」とあるので確かめたかったためです。

この中新田の観音堂については、後日報告します。

観音堂から10メートルほど離れて、誰にも注目されないような、小さなコンクリートの祠(写真)がありました。

覗いてみると、「青面金剛」のお像です。

「庚申(こうしん)さん」です。

先に、庚申信仰について報告しておきます。

稲美町は「庚申信仰」が、さかんな地域であったようです。

たくさんの「青面金剛像」を見かけます。

   庚申信仰

 青面金剛像(しょうめんこんごう像)を、人々は「コウシンサン・・・」と親しみをこめて、そう呼んでいます。

 江戸時代、ずいぶん盛んであった庚申信仰(こうしんしんこう)も現在では、すっかりその姿を消したようです。

Photo_4  庚申信仰は、平安時代に中国から日本に伝わり、一般民衆の信仰になったのは、室町時代のことで、特に、江戸時代に盛んに行われていました。

 コウシンさんは、庚申の夜(六十日に一回)、人体に住むというサンシチュウという虫が、人の寝ている間に天に昇り、天上の神にその人の罪を告げに行くという。

 そのため、庚申の夜は寝ずに、当番の家に集まり、庚申像を拝んだり、村の庚申さんにお参りに行くという行事です。

    コウシンサンの夜

 いつしか、この行事は人々が集まって、一晩中酒を酌み交わし、演芸を楽しむと言う行事に変っていきました。

 江戸時代、庚申信仰では、もっぱら青面金剛が拝まれるようになりました。

 中新田にこんな夜の賑わいがあったのはいつの頃までだったのでしょう。

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